お湯割り器


焼酎お湯割りという注文は頻繁ではありませんが一定数のお客様からいただきます。


これまで使っていた器は「それなり」のもの。


焼酎文化が希薄なこの地ではお湯割りにはどんな器がいいものやらよくわからないというのが実情でした。



で、
ふと 思い至ったのが「あっ、和一さんの器を使えばいいんだぁ」ということ。


一番身近な林和一の器だったらお客様にも説得力があるはず。。。


というわけで、仕込みを済ませた後、林和一さんのアトリエに伺ってきました。


倉庫に居並ぶ器達の中から「焼酎のお湯割りなんですけど、○○ml位の容量で」といくつか選んで、いただいたのがこんなこれ。



二三日前に焼き上がったばかりのびっしり書き込んだ染め付けと 手びねりでどっしり落ち着いた黒織部



和一さんらしい織部とあざやかな赤絵



週初めには修理のテストに仕上げてもらった古い輪島塗りもできあがってきました。(右が修理前 左が修理後)


これを参考にのこり15客ほどの塗り直しをしてもらって、秋には間に合わせようかと思っています。





気に入った器 自信を持って選んだ器を使えるのが仕事にも大きな力になります。身の丈に合った器は一気にそろえていくのは難しいので、少しでもゆとりがあるときにちょっとずつ手に入れられればいいな。。。と。

 音楽と小説


音楽が小説に深く関わる作品はたくさん存在します。


この数年で触れたものの中にも奥泉光シューマンの指」 藤谷治「船に乗れ」「世界でいちばん美しい」 須賀しのぶ「革命前夜」 熊谷達也「調律師」 宮下奈都「羊と鋼の森」(未読)


キリがありません。


が、
小説内に現れる音楽を聞かなくてはいられない衝動にかられる小説となると、昨年読んだ平野啓一郎「マチネの終わりに」と今年になって読んだ恩田陸蜜蜂と遠雷」が圧巻でした。


この二小説では、そのシーンに同曲を鳴らしているかどうかで心の満ち足りた感触が段違いなのです。


さらに言えば、この二人の小説家の音楽への造詣の深さと、音を文字で表現することの卓越した力は群を抜いています。


平野啓一郎氏は「葬送」で描いたショパンの楽曲でその力技を見せつけていましたが、「マチネの終わりに」では主人公二人の結びつきに大きな影響を与えたブラームス 間奏曲op118 二番の描写が特に印象に残ります。


浅学な私はこのブラームスピアノ曲を知らなかったのですが、調べるうちに、この若いピアニストの演奏にぞっこんになると同時に、これほど美しい曲を知らしめてくれた平野氏の選択に深く感謝し、曲の持つ美しい調べが主人公の過去未来を現すという意味でも聴かないで読み進めることはありえないと思いました。



恩田陸蜜蜂と遠雷」は私の地元のピアノコンクールをモチーフにしている長編ですから、現れる楽曲は膨大。おなじみの名曲あり、未知の曲ありで、その都度、読むのを中断して動画で曲を聴きながら再び小説に戻るという作業がなんと幸せなことか。


昨年初めて知った事実なのですが、恩田陸は私が学生時代に所属したジャズバンドの後輩でもありました。


クラシックの素養もさることながら、ジャズの分野でもそのバンドに所属することイコール、アマチュアバンドの美味しい体験はほとんどさせていただけるようなバンドでしたので、学生時代にジャズに関わることで得られる感性は同じように体験していると思われます。


音に感動すること、曲を理解すること、演奏から得られる心の震え、観客と演奏者との関係・・・などなど、同じバンドで得た共通の言語のようなものは出身OBと話すたびに感じることです。


しかしその音楽の感動を文字にし、エンターテイメントとして披露することの凄さ、直木賞と二度目の本屋大賞に十分に値する偉業でした。


音楽も小説も繰り返して触れることの感動を実感している今、「マチネの終わりに」は三回目「蜜蜂と遠雷」は二回目の再読の喜びに浸っています。


蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷


マチネの終わりに

マチネの終わりに

 おだやかな仕事


主に首都圏では、人気のある飲食店の混み具合は尋常ではないと聞きます。


しかもその人気は口コミによる力強いものというよりもメディアによる爆発的なモノであるようです。


ラーメン店は行列ができてやっと事業として成り立つらしいですし、高級店は一ヶ月先の予約までうまって人気店と呼ばれるのだとか。


「情熱なんとか」「プロフェショナルなんとか」で取り上げられるのがその典型なんでしょうか。。。


しかし、そうやって集まる客達は一過性の方々でお得意様にはなりにくいのかもしれません。予約が取りづらければお得意様もできにくいとも言えるかも。


そういう飲食店のあり方を疑問視しつつも、片方では「忙しくてうらやましいなぁ」という思いもほんのちょっとあったことも偽らざる気持ちでした。




1981年に出版された「男の料理 コツのコツ」(小学館)を本棚から取り出して眺めてみると、当時の名店が四十店ほどズラズラ並びお店の名物を写真とともに紹介しています。


すべての店が私でも知っている当時の超名店ばかりなのですが、35年経た今、同じように名店と知られる店は4−5軒を除いてほぼありません。


これらの名店は現在のような喧噪的な人気ではなくて、しっかり根付いた人気だと思っていたのに、現実は閉店も含めて見る影もないのです。


このことを考えたら現在のバブルで踊り狂っていた若者に支持されたのと似た劇混みをさばいている店の20年後はどうなってしまうのだろう?と冷静になってみて、「うらやましさ」はしぼんでいきました。


メディアで火がついて我も我もという人気が飲食店にとって正しいモノなのか?


口コミや紹介を通じて店を知っていただき、「裏を返し」「馴染み」になっていく本来のお得意様を得て、地道に美味しいモノだけを作っていこうとする姿こそが息の長い料理店を作る姿・・・って誰が考えても当たり前なのに、「超人気」に踊らされたり、それに憧れたりするさもしい心持ちが片隅に現れたときが危ないのかもしれません。


店の90余年の歴史はそうやってできてきたはず。


常に身綺麗に手を洗い続けることを忘れないようにしなくては。家族が生活できる収入を得て、理想を追える楽しい仕事ができるっていうこと以上を望まないことが大事です。


といっても、メディアで取り上げられるような兆候はみじんもありませんし、ミュシュランだって地域外。超人気が出る芽は100%ないわけですが。

 中毒


「ハウス・オブ・カード」が、もうめちゃくちゃ面白いのであります。


今更・・・ですが、シーズン4までを見終わって、もう一度最初から見直し始めました。


見直してこその発見がそこかしこに。


何しろ、登場人物と相関関係が複雑で、名前を聞いただけではすぐにどの立場のどんな人物であったのかさえ思い起こすことができないほどです。


普段、洋画系は100%字幕スーパーで楽しむのですが、このドラマは字幕では政治問題などを含めて理解が追いつかず、シーズン2から吹き替えを選んだくらい。最初に戻って見返し始めて字幕版で見てやっとストーリーが理解できます。


これまで「ブレイキング・バッド」 「ホームランド」  「ダウントン・アビー」など、いくつかのTVドラマを見たことがあるのですが、「ハウス・オブ・カード」と「ブレイキング・バッド」の面白さは傑出しています。


特にトランプ大統領就任の経緯を見ていると、嘘ごとに思えていた様々なエピソードはすべて真実味を帯びてきました。


ただでさえ、映画を観る時間が少ないと嘆いているのに、映画館、wowwow、アマゾンプライム、DMMレンタル、NETFLIX 全部を見渡していたらもうパンク寸前。選んで選んで、つまらないモノはどんどん捨てていかなければ収拾がつきません。


とか言いながら、後数ヶ月は「ハウス・オブ・カード」再見でワクワクの時間が待ってます。

 春の息吹


例年より二週間近く遅くなって山菜が盛りに入りました。


こごみ


イタドリ新芽 ヤマホトトギス タチツボスミレ


キバナアキギリ 釣鐘人参


惚れ惚れする鍵蕨


カタクリ アイコ


山独活 シドケ


このほかに 甘草 のびる 行者ニンニク やまほととぎす 春蘭 ふきのとう


などというところも。



すべては天竜川を二時間遡った佐久間町の山菜名人藤本さんご夫妻のおかげです。


4−5月に私自身も収獲に出かけ、スタッフもつきあってくれますので、店のメンバー全員が、どの山菜がどこにどんな風に生息しているか、どうやって料理するのが最適かを理解しています。


街中の料理店でこの分量と種類の山菜を使えるのは本当にありがたいことです。

 自分で作るのが当たり前


青リンゴサワー 梅サワー などというサワーがはやったのはもう20年くらい前でしょうか。


特に興味がなかったのですが、いつも刺激的な記事を書かれる白央さんが「レモンサワーのススメ」というお話を書かれているのを見て俄然興味がわきました。


白央さんがはまっているなら美味しいに違いない。。。と。


で、
いくつかの試作を作ってみたのですが、さて、店に出すとなるとどんなもんか?


そんなとき佐久間町の藤本さんの山の柚子を思い出しました。


その年も青柚子をいただく予定でしたので、たっぷりめにいただいて、氷砂糖で漬け込み(冬には黄柚子で)柚子シロップを作り博水社のサワー(いろいろ試してこれがぴったり)割ると、我が店独自の柚子サワーできました。夏の青柚子サワー、冬の黄柚子サワー。


ただし、アルコールはそれ以前に充実しているので、焼酎抜きのソフトドリンク 柚子サワーの注文の割合が多いのです。




レモンサワーに注目し始めた頃、友人達と訪れたある料理屋さんにレモンサワーのメニューを見つけて注文してみました。


サービスの女性に「レモンサワー 焼酎少なめのレモン多めでお願いします」と伝えると「分量の調整はできません」と。


「え?」 そうなの?


店にスタッフにそのお話をすると、「親方、何いってるんですかぁ。レモンサワーなんて 瓶や缶で売ってるのをグラスに注いで氷を入れて出す店が90%ですよぉ」「この前も焼酎のお茶割りの作り方を一生懸命試作してたでしょ。普通の居酒屋はペットボトルの緑茶と焼酎を割って出すだけです。 それが世間の普通ってモンです」と20代前半のスタッフに諭されました。



へーーー、そうなのぉ、知らんかったぁ、


何しろ「”生中頂戴”」とお客様に言われて、スタッフに「生中って何?」と聞いたくらいの世間知らず(店にはオリジナルなグラスのビールしかありません)ですので、推して知るべしです。


考えてみたら定期的に送られてくるビール会社 焼酎会社各社のパンフレットには缶入り 瓶入りの○○サワー ○○カクテルがあふれていました。


料理をすべて自分で作るのが当たり前のように、ソフトドリンクも自分で作るのが当たり前だと思っていました。


食後のお茶をペットボトルでは出さないのと同様に、烏龍茶は選んだ(揉んでいる人もわかっている)茶葉から入れるのが普通だし、ジンジャーエールはショウガと黒糖 和三盆 カモミール ナツメッグ シナモン カルダモン ペッパー クローブで作ったジンジャーシロップと相性のいい選んだ炭酸で割るのが当たり前、ライムジュースはライムジュース 洋なしのシロップをペリエで割る、柚子サワーは前述の。。。


缶入りの市販品の方が安いし、簡単だしという発想自体がありません。


これを世間知らずというのか、意固地というのか、こだわり(ネガティブな意味)というのか。


私の基本は「だって美味しい方がいいじゃん、料理屋だもん」ってことだけです。

 手間暇いらず? いや考え方では?


朝食をとりながらぼんやり朝の情報番組を観ていると、「電子レンジを使った簡単レシピ」 「炊飯器をつかった手間いらずレシピ」などという奥様向け料理レシピの紹介をしていました。


電子レンジを使って鶏手羽肉の火の通りを手早くする


とか


豚角煮を炊飯器を使って簡単で失敗なく、しかもコーラを使って炭酸で肉を柔らかく甘みとして。


とかいうレシピでありました。



電子レンジはお総菜を暖めるためだけ、炊飯器はご飯を炊くだけしか知らない老人初心者板前の言うことですので、話は半分、片目をつぶった上で聞いていただきたいのですが、これってあくまで「目新しさ」と「キャッチー」をお題目にしただけの、新しい風に見える、オリジナルレシピに見えるだけの料理じゃぁありませんかぁ?


電子レンジを使えば10分でできるといいますが、オーブンを使ったって倍の20分あれば同じ火入れはできますし、レンジよりはふっくらのはず。


電子レンジを使った手短簡単は、(ちらっと各種覗いただけですが) 5分のものを10分 20分のものを35分 鍋 フライパン オーブンでできる仕事ばかりでした。


その10分でも惜しいというのなら、私なら別の料理を作ります。


電子レンジを否定するわけではなくて、TV局の新しモノ煽りにのる必要はないのではないか?って思うのです。



炊飯器を使った角煮も醤油とコーラをいれて45分間と観た(ぼんやり観ていたので確証なし)レシピですが、朝の掃除をしながら大きめのなべてコトコト二時間にてあげることは、鍋につきっきりではないので大変ではありません。


よくTVで紹介される店でも「10時間煮込んだ」などと、時間をかければかけるだけ美味しくなるような紹介がありますが、10時間鍋の前に立ちっぱなしでずっと手をかけている料理はあまり聞いたことがありません。放っておけばいいことなので、私には手間暇ではなくて、「食材を生かすための適正な時間」「仕事の一部としてこなす普通の段取り」でしかありません。


炊飯器なら45分を、他の仕事をしながら鍋をかけて2時間にしても問題はないわけです。


さらにコーラを入れるのも、甘みとしてのコーラに文句をつけれるつもりはありませんが、コーラを入れたから劇的に甘みが美味しく、炭酸で信じられないほど柔らかくなるわけではありません。


それよりも正しく煮込む(もしくは蒸す)王道が、こと角煮に関しては、キャッチーなレシピよりも絶対に美味しくなります。



TV局が素人受けするために仕組んだ目新しい料理を作る前に、時間の使い方を工夫して王道料理を作ったほうが美味しいって思うんですけどねぇ。。。どうでしょ?