料理店の流儀


ほんの三十五年前、日本料理店(料亭に近い存在の)では生ビールは置いていませんでした。


当時若造であった私が父に「生ビール、美味しいよ、置いてみたい」とお願いすると、


「そんな居酒屋(当時は一杯飲み屋と言ったかも)みたいなまねできるか!」とはねつけられました。


生ビールは居酒屋さんの飲み物。もしくはカウンター割烹の飲み物であったのです。


ジョッキに注がれるビールでは「お酌」ができません。日本料理店で日々繰り広げられるお座敷の宴会ではお酌ができない飲み物は必要ありませんでした。ビールも日本酒も「まあまあまあ」とお酌し合ってこそ宴会が成立したわけです。



同じように当時「お酒」といえば、熱燗だけでした。当然銘柄はひとつだけ。灘伏見の大手の日本酒が絶対的な地位を占めていました。


それが昭和50年代の日本料理のスタンダードでした。


私自身は地方の地酒にスゴイのがあると思い始めていて、最初に出会った菊姫大吟醸をどうしても使いたかったのですが、父に相談すると「そんな地酒なんて一杯飲み屋みたいなことができるか!」とビールの時のように簡単に却下されました。


「だいたい二種類も三種類も日本酒を置いて誰が説明するんだ」とも言いました。


その当時、板前がのこのこお座敷にでていってお酒のプレゼンをするなどいう発想自体あり得なかったですし、「地酒=粗悪なお酒」のイメージは、昨今の「日本酒=辛口であるべき」以上に根強いイメージができあがっていました。


大吟醸が市場に現れることも、辛口とかコクとかキレなどというお酒の表現も、純米という認識も、お燗の温度を調節するという発想もありませんでした。この時代に日本酒を飲み始めた若者達にとったら昨今の日本酒を取り巻く状況は別世界のようだと思います。



ちなみにちゃんとしたワインなんて見ることもありませんでした。そう、イタリアンはもちろんですが、フランス料理だって東京のごく一部で存在しただけ。