宴会なんて大嫌いだった若い頃
「宴会の作法を知らないでどうする」と書いた昨日の記事とは真逆のお話です。
若い頃、それなりに純な板前であった私は宴会なんて大嫌いでした。
料理は食べてくれない。飲み物は飲み散らかす。いい素材なんて知ったこっちゃない。
ワンワンとした喧噪のお座敷の後、残った料理と飲みかけのビールお酒を見れば、一生懸命作った私はなんなんだろう?と思っても不思議ではありません。
しかしながら、昭和の時代の料理店、旅館はそれが主流でした。
宴会で儲けられたのです。
料理に集中していただきたい、お酒一つ一つの思い入れをお客様に感じ取って欲しい、そういう思いがいまの店を形作りました。
店を新築した20年前にはまだまだ宴会の名残があって20名くらいの席を持つのは料理屋としてマストアイテムであったのが、世相の変化とともに大きな宴会はすっかりなくなり、リニューアルの時に小人数の個室のみにしました。
10人以上の会で全員が料理とお酒に目を向けてくださるのは難しくなるのは仕方のないことです。ですからそれに対応する部屋をやめてしまったことは、若い頃の純な気持ちを体現するためにはいい方法でした。
しかしながら、宴会がなくなってみると、宴会の効用にハタと気付くのです。あれはあれで人間関係の潤滑油として日本人にはとても有効であったと。
なくなったときに気づく。
年齢とともに感じることも変わり、世間との関わりも変わる。
「年寄りが変説しやがって・・・」と思っている若いあなた、三十年後まで覚えていてね。右か左かどちらかしか考えられない固い頭が人に揉まれる内に柔軟になってくるから。
とはいえ、いい加減なモンです、私。