工業化する日本酒の未来ってあり?


日経新聞記事に日本酒蔵の話題がありました。


巷では入手困難になっている獺祭(だっさい)です。


リンクしていても新聞記事はすぐに読めなくなってしまうので私なりに要約すると、


「地方の山間にある小さな蔵が、杜氏さんに辞められてしまったことで試行錯誤をくりかえし、IT化でデータを蓄積し杜氏がいなくても良質な酒を造り、さらに地方にこだわらずに首都圏だけでなく世界に打って出て成功を得た」


という内容であると思います。



少々書きようが批判的になってしまうかもしれませんので、内容を載せていいものかどうかかなり迷いつつ書いているのですが、まず申し上げておきたいのはこの獺祭さん、店では「旭富士」から獺祭の名前で現れた直後から現在まで何度も店でも使っていて、淡麗ないいお酒であることは十分に認識しています。ただ、今の日本酒ブームに乗って世間で騒がれプレミアムな価格がつくほど群を抜いて優れた日本酒に成長したか?というと、それはさておき・・・とも思っています。


実際私の手元にある松崎晴雄さんの「日本酒ガイドブック」(2000年発行)では蔵の出荷量は1000石以下、杜氏は代表者兼務となっていますので、杜氏のいない小規模な蔵の苦闘の日々がうかがえます。



昔、日本酒蔵では蔵元と杜氏は、経営する人と造る人の関係で全国どこでも同様であったわけですが、昨今では蔵元本人が杜氏を兼ねて大きく脚光を浴びている蔵や、杜氏ではなくて製造責任者という形をとる蔵、杜氏がいても蔵元も積極的に造り参加する蔵など、蔵の規模と酒造りの形態によって様々な形が現れています。


獺祭さんの記事で気になるのは
「酒造りは従来、酒蔵とは独立した杜氏の指揮の下で行われる。旭酒造も同様だったが、1999年に新規事業に失敗、杜氏に去られた。それ以前から、酒造りのノウハウが杜氏の頭の中にブラックボックス化されていることに疑問を抱いていた桜井社長は、ここで大胆な改革に踏み切る。

 象徴が検査室だ。酒造りの全行程で詳細なデータを取り、検査室のパソコンに蓄積して分析することで、酒造りの最適解を見つけ出してきた。日本酒は、米を麹で糖化させる工程などを経て「もろみ」にして、それを酵母で発酵させて造る。

 例えばもろみの発酵は、山なりの理想の発酵曲線(「BMD曲線」と呼び発酵日数と糖度などの関係を示す)に、可能な限り近づける必要がある。そのための微妙な温度管理や水の追加タイミングなどについてデータを活用して知見を積み上げた。

 当初はデータ量も少なく、分かることは限られていたが、一番安価な獺祭は初年度から、杜氏の指揮下で造っていたときよりも品質が良くなったという。「ある意味、杜氏は手抜きの天才。我々は理屈で詰めていくしか道がなかったから、どうしたら良い酒が造れるかを徹底的に追求した」と桜井社長は話す。




酒造りのノウハウをデータ化して杜氏のいらない造りに到達し、品質が安定し高まったと。





酵母の働きが未知で会った戦争前には、杜氏の経験値だけで造られた日本酒も、現在の醸造学では多くの働きが科学的に解明されてきたとはいえ、酵母という生き物を操る日本酒は同じ造りをしてもタンクごとでさえ味が違ってくるのはごく当たり前にあります。同じお父さんお母さんから生まれた子ども達が同じ家庭環境で育っても性格がそれぞれに違うように。そして教育を科学的なデータで管理して行ったとしてもデータ通りに育たないのと同じように。育ちかたを管理していい子に育つように見守るのが杜氏の役割なのです。


獺祭さんが杜氏に逃げられてデータを蓄積し始めたとしても15年。同じように能登の銘酒「菊姫」さんでは名杜氏とうたわれた農口さんの技をデータ化していると聞いたのでさえ30年近く前です。


それだけの蓄積があっても菊姫がデータでできたお酒を世の中に出しているとは思えません。農口さん自身「杜氏経験40年っていったて40回しか酒造りをしてないんだ」とおっしゃっています。


私が訪れた300石の小さなある蔵でも小学校の古い理科室のような部屋でビーカーやフラスコなどの実験用具をたくさんおいてデータをとっていらっしゃいましたが、この蔵もPCは使ってもデータでお酒を造る蔵ではありません。データの蓄積や科学的な醸造化学を取り入れることは多くの蔵がすでに取り組んでいることです。




私自身はお酒を造る過程を知識をしては知っていても実際に一から十まで造りに参加したわけではありませんので、ことを料理の世界から推測する方法でしか考えられませんが、料理の世界でも数値をデータ化してわかりやすく伝え、味を安定的にすることはすでに当たり前ですが、そこから先の板前の経験値と緻密であるべき心配りで店の善し悪しが決まるのは経験的によくわかっています。


データと数値でできる料理は外食産業にまかせておけばいいのです。


お酒がそうなったら批判の的になる大手酒造メーカーと同じになってはしまわないかと不安です。


1000石以下から、想像するに15000石レベルにまで大きくなった蔵がとる道としては、お酒を工業化して安定的な製品にし、マーケッティングで世界に打って出るというのはサクセスストーリーとしては完璧ですが、手仕事に愛着をもつ日本酒好きは次第に遠くからこの蔵のお酒を眺めるだけになるかもしれません。


実際に現在の獺祭さんの味わいは工業製品として造られたお酒を炭素濾過で淡麗に均一的にしあげたものとは思えませんので、蔵元の20年の苦労と現在の成功の過程をインタビューして象徴的に書いてしまうと、こんな風になってしまうのかなぁ?と思いつつも、「ジャパンクオリティー、つまり日本品質、製造業なら“匠の技”が生み出す高品質だ。人の技量だけに頼ることなく、ITやデータの活用によりコストを下げつつ、品質をさらに磨き込めば国内だけでなく世界と戦える」 Itで日本酒が世界で戦えるというのは幻想。。。いや正しい道とは思えません。


Itやデータは職人の技を補強するには大きな力になりますが、それだけで戦うことはできない、と田舎町の小さな料理屋の職人は信じているのです。