たどり着いたのか、ふっきれただけなのか


二十代に料理の道に入り、同級生達はそろそろ定年かという歳になってきました。


この道 38年と聞けば、普通であれば相当の手練れと思われるはずの職人であるはずなのに、恥ずかしながら50代に入ってやっとちょっとだけ自分の仕事に自信が持てるようになったというボンクラです。


最近よく思うのは、どんなお客様がお越しになっても動ずることがなくなったということ。


自分の料理の方向性が定まってきた40代(職人歴20年目)くらいの時は、社会的な地位の高い方、いわゆる食通といわれる方、情報発信力の高い方などが店に見えると、肩肘張ってエエカッコしようと思って自爆することの繰り返しでした。


特別にいい食材をつかってみようとか、盛りつけを斬新にしようとか、味付けをとんがったものにしようとか、認められたい意識が強すぎて失敗するのです。


結局普段の自分に自信がなかったのでしょうね。


お客様がお帰りになるときに落ち込むことしきりでした。




そんなジタバタする日々を経て、やっとどんなお客様が見えても普段と変わらない仕事をするしかない今の自分にたどり着きました。


この手の店に初めて見える緊張した若いカップルにも、日本中の人々が知っている大企業のトップにも、有名作家 芸能人にも、この接待に命をかけている営業担当の方にもお出しする料理の質とお酒の気遣いは全く変わりません。


というか、変わりようがない、自分の力量以上のことはできないという当たり前のことに気づいたのです。


「遅すぎるぜ!」と思われても仕方の無いことです。


でも、もともとが能力の高くない職人ですので、たっぷり時間がかかってしまったのは当然なのです。


そうやって吹っ切れると、同じクオリティの料理とお酒を提供しても絶賛してくださる方と、感動の欠片も無い方の両方を受け入れることができるようになります。


それはお客様の理解力の差でもあるので、作る私側がジタバタしても仕様が無いことなのです。[美味しい」の理解には明らかに差があります。


理解を共有できる方だけがお得意様になってくださるのでしょうね。


そんな心持ちになって以降の仕事はとても楽しい。自分が楽しめているというのも、もしかしたら料理にの質に反映されるかもしれませんね。