日本料理は引くだけか?


二回続けてラーメン、カレーの個人的な思いを書きました。


両方とも元々は外国から入ってきた料理でありながら日本独特の進化をした料理で、グルメブームを背景に「足す料理」に変遷してきました。


一方日本料理は「引く料理」であるのでしょか?



確かに鰹節と昆布のエキスを短時間で抽出し、それのみで食材の本来の持ち味を活かす手法が主流をしめています。その意味ではぎりぎりまで引いて研ぎ澄ますことは日本料理の大切な要素ではあるのですが、実際現場ではもうちょっと複雑な取り組みをしています。


たとえば、今店でお出ししている料理だけを見てもおわかりいただけるかもしれません。


先付けに使う白だつは酢を落とした熱湯で湯がいてから、鰹節昆布の出汁に、たっぷりの昆布をふたのようにかぶせ、アゴ(飛び魚を乾燥させて焼いたもの)も加えて焚きます。つまり鰹節昆布に昆布とアゴの主張をプラスして、本来水分の多い白だつに旨みを加えるのです。


お椀に使っている冬瓜は下ゆでをしてから、濃いめにとった鶏ガラに鰹節昆布の出汁、さらに白だつと同じように昆布を加えて焚きあげます。鰹節昆布に鶏の旨みと昆布の旨みを足すことで同じように水分量の多い冬瓜に複雑な出汁の旨みを含ませてるのです。さらに、仕上がった冬瓜にかけるのは干した浅蜊を戻して焚いた浅蜊のあん。干したことで旨みが凝縮した浅蜊のエキスも加わることで、小さなお椀の中に鰹 昆布 鶏 浅蜊の味わいを凝縮させようとしています。


煮物に使っているのは京都上賀茂で作られた本物の賀茂茄子です。賀茂茄子は油で揚げてから、焚くときには鰹節昆布の基本出汁にアゴとたっぷりの追い鰹をガーゼでくるんで加えて焚きます。茄子は鰹節の風味がより多く加わることで旨みをますと思っています。


一方、一般的なお椀の吸い口(お椀にはるお出汁)などは、上質な利尻昆布と血合いをけずってもらって綺麗に仕上げた削りたての昆布をぎりぎりの量で計って使います。ここでは決して足さず、多すぎないことが重要です。1000ccの水に鰹節が10gでも余分に入ってしまうと、鰹の風味と渋みが強く主張してしまって美味しさを感じられません。さらに鱧をお椀用に焚く際には、鱧と昆布だけで焚きます。そこには鰹節もアゴもほかの何かが加わってしまうことがマイナス要因になってしまうのですね。


くどいほど書き連ねておわかりいただけるように、日本料理と言えばなんでも出汁(鰹節昆布)で焚くだけ・・・というわけではなくて、素材の持ち味によってどんな出し汁が必要で、どうやって仕上げると素材の生きてくるのかを繊細に積み重ねているのです。そこには意味なく足す食材は一つもありませんし、意味なく長時間かける仕事も一つもありません。極めてシンプルに見える一皿にかけるべき手間を真っ当にかけて美味しさだけを凝縮させる。そんな仕事が私の料理の理想です。