カレーの問題


昨日書いたようなメディアで盛り上がり、行列が当たり前になるようなラーメン屋さんに素人臭さを感じることの一端に「足せば足すほど美味しくなる」という思考です。


ご存じのようにスープはまさにその典型です。「素材に素材を足して」(できれば教えることのできない意外なものも投入し)、「時間をたっぷりかける」ことが秘密の美味しさになると言われ、TVメディアもそれを取り上げ、食べる側もそう信じています。


和食だけではないでしょうが、修行を積んだ職人はこの素材を料理するためには、この出汁が必要で、食材の持ち味を活かすためにはこの時間をかけて料理すべきということを学んで知っています。そこに足せば足すだけ美味しくなるとか、時間をかければかけるだけ美味しくなると言う論理は存在しません。必要なものを必要な時間だけ費やすことが大切なのです。多くの場合そこに秘伝はありません。かけるべき手間を惜しまずかけることだけが美味しい料理を作るための秘訣なのです。



さて、同じような素人が(特に日本人の)陥りがちな信仰ともいえる落とし穴がカレーにもあります。


35年以上昔、様々なスパイスを自分であわせてカレー粉を作るためのパックがありました。


ターメリック コーリアンダー カイエンヌペッパーなどなど十数種類のスパイスが小袋に詰められていて、当時の日本人の知識では未知の香辛料もたくさん入っているものですから、「これだけたくさんのスパイスを使ってカレーを作ればインドみたいに美味しいカレーができるに違いない」とすでに料理の道に入っていたにもかかわらず単純に信じて作ってみたことがあります。


結果は、普通に売っているカレー粉よりもスパイスのエッジが立っているという程度の違い。味わいは市販のカレー粉と大きくは違わなかったのです。


それでも巷では「私だけのカレー」と人気があったように思います。30数年前のお話です。


そこでもわかるように日本人は(35年前の私も含め)スパイスをたくさん使えば使うほど美味しくなると迷信のように信じていました。


当時の迷信・・・というか、日本人の一般的な知識では、


「インドにはカレー粉があって料理にはそのカレー粉が使われている」
「カレーは一晩寝かせた方が美味しいのだから、きっとインドでも同じようにしているかも」
(因みにインドに”と大きな括りで言ってしまうのはかなり乱暴ですが”カレー粉はもちろんありません(ガラムマサラはあるけど) インドで一晩寝かせるというカレーは100%ありません)


などというのもあって、もしかしたら今でも疑いなくそう信じている方々もいらっしゃるかもしれません。


そうやって「足せば足すほど」とか「秘密の隠し味」という迷信は、1990年代以降のラーメンと同じようにカレーでも未だに信じられている傾向があって、スパイスの種類が多いほど美味しそうとか、隠し味にチョコレートだとか、コーヒーだとか、醤油を一垂らしだとか・・・実際にはその程度の隠し味は作った本人の自己満足以外のなにものでもありません。


ずっと以前に日本酒の迷信シリーズでも書きましたが、日本人の陥りやすい信仰ともいうべき迷信から脱却するにはたっぷりとした時間が必要なんですね。私自身がそうでしたから。ラーメンや焼き餃子が中国では当たり前に食べられ、カレーライスがインドでは普通食だと多くの国民が信じていたような30年前とは情報量も食文化も大きく変化した今、独特の進化をしたラーメン カレーには日本人の国民性が潜んでいるのかもしれません。


とはいえ、この20-30年でラーメンが大きく変化したのに比べ、カレールー(市販の)って変化が微細なのも不思議だなぁと思ったりもするのです。