田舎町の言い訳


「そんな料理作っても浜松の連中にわかるわけない」
「本当はこの料理には○○を使うんだけど、田舎町ならこの代用品で十分」
「大阪で習った仕事をこの地でやったって無理。食べちゃぁもらえない」


私が20−30代前半の頃、先輩の料理人や父からも散々言われた言葉です。


田舎町には田舎町のやり方がある。洒落た料理やこった食材を使たって「高い!」って言われるだけで絶対に受けない。田舎町ならこの程度で十分。


そろそろ仕事も一通り覚えて自分の仕事を前面に打ち出したいと思ったときのこの反応がものすごくヤでした。田舎町で田舎もんに受ける料理が正しいというのは、料理人として自分に嘘をつく恥ずかしい行為だと若気の至りかもしれないと片隅で思いつつも反発しました。儲かることも大切だけれどこの料理に本当に使うべき食材を正面から使いたい、でも使わせてもらえない。


たぶん、姿は若干違っても全国のあらゆる場所でそういうジレンマに苦しんでいる料理人がたくさんいるはずです。で、実際にやりたい仕事の半分も実現できないで悶々としている料理人が99%かもしれません。


父が亡くなった後、一気に自分のやりたい仕事だけにしたか・・・というと、そんな勇気はもちろんなくて、手探りに手探りを重ねてやっと理想を少しずつ実現でき始めたのは15−20年前です。


田舎町を言い訳にしない。
どんなお客様が見えても自分に恥ずかしい仕事をしない。
本当に使うべき食材を使う。


一般のお客様からみれば料理屋として当たり前のことのように思えるかもしれませんが、そのハードルはとても高いのです。


それらを地道に積み重ねてやっと、地方都市だから東京にはかなわないとか、本当は京都のような仕事をしたいけれど。。。という浜松を言い訳にすることは一切なくなりました。「この値段で私ができる仕事は東京にいようが京都で店を持とうがこれだけ」と大きな顔をして主張できます。


サイト上でも店でも「田舎町の田舎料理で・・・」と口にはしますが、心の中でもちっともそんなことは思っていません。料理もお酒も店全体が私の個性そのものなのです。これが「田舎もん」と思われる方はもっと上品な店をお探しいただくしかありません。


そうやって開き直るまでに30年。まったく愚鈍を絵に描いたようです。