聞き上手


職業的にいえば、話し上手であるよりも常に聞き上手であるべきです。


お客様のお話がお話をしやすい状況をさりげなく作る技術があれば、それは料理をつくること以上に大きな力となるかもしれません。



二十代のころ、宴席やお茶の席で二三回お話をしたことがある友人の友人がとても印象に残る聞き上手でした。出しゃばらず、ニコニコ人の話に相づちをうつだけでなく、人と人の話をさっと結びつけて話を広げる。気がついてみたら彼女はほとんどしゃべっていないのに存在感だけは心地よくそこに残っているという方でした。「聞き上手なんですねぇ」と率直に申し上げると、「ええ?そんなこと言われたの初めてですよぉ」と本人はそのことに気づいてさえいないといった風でありました。


立ち位置は少し違いますが、同じように私が二十代三十代の頃、若者に対して常に説教節である年長者がたくさんいました。


「お前のそういうところがダメなんだ」
「そんな風では世間では認められない」
「俺が若い頃には・・・」
「人生甘く見てるンじゃぁないの」


言葉の端々に教訓めいたwordをちりばめて聞き手を萎縮させる年長者に数多く出会ってきました。従順で影響されやすい私など、心の中で「ヤダナ」と思いつつ、「人生経験を積めばそんな境地にたどり着けるかもしれない」などと本気で思っていたわけですが、実際歳を取ってみてもそんなできた人間になれるはずがなく、かえって昔教訓めいた話をした方々が人としてそうたいしたもんではなかったんだということがはっきりと見えてきたわけです。50代に入ってやっとそんなことを言い立てられる環境がなくなって、生きやすい今の環境を振り返ると、歳をとるのは悪くないもんだと思うと同時に、若者に対して私が味わったような「ヤナ感じ」を与えることだけはしまいと密かに心に誓ったりしているわけです。



昨日、「肴町プロジェクト」という企画の一環としてインタビューを受けました。店の歴史のこと、肴町との関わりのことなど、30分から1時間というお約束でボランティアの若者たちをふくめた5人の聞き手達とのお話は、日頃二十代の若者に囲まれる機会など皆無の私にはとても刺激的な時間でした。


まっ、インタビューですから自分と店のことを語る場ではあるのですが、気づいてみると私の生来の悪い癖で、ベッラベッラベッラベッラ、尋ねられなくても語り続けて気づいたら2時間、予定を遙かにオーバーして自分語りだけをしていました。前述のめざすべき聞き上手はどこへいった?若者に教訓めいたことを語っていなかったか?


冷や汗がでます。


というのも、彼らがインタビュアーとして優秀であったからというのが一番の要因であったからです。


聞けば、イギリスで一年間を有意義にすごした方、カリフォルニアで仕事の手がかりをつかんだ方、そしてなにより大切な休日を語りたがりのオヤジの相手をするのも面白いかも・・・とボランティアで集まるという私の時代では考えられないライフスタイルをもつ若者達。「近頃の若いもんは」などとは120%口にできない「俺たちの若い頃よりも遙かに優秀な若者」がたくさんいることを認識させられる時間でありました。