地元のお酒か全国区の有名酒か


地方都市の料理店が地元のお酒を大切にするのはごく自然なことです。


実際、店では静岡県内のお酒だけで勝負しても十分に成り立つくらいに、静岡酒最上をほぼ網羅していると言ってもいいかもしれません。


ただ、店であつかう日本酒の遍歴を考えると、静岡県酒が脚光を浴びる平成初期よりもずっと前から日本酒への取り組みを続けているために、全国レベルでいいお酒が集まるルートと下地ができていました。それらを取っ払って静岡のお酒だけで行くと決断するにはあまりにも素晴らしい蔵と酒屋さんとのお付き合いがすでにありました。


それらの蔵は私があつかい始めていた頃にはまだメジャーというほどではなかったものも、今では新しいナショナルブランドと呼ばれてもおかしくないほどあちこちで脚光を浴びています。


最近読んだ本の中に、”料理店「○○」はお酒もいいものを置いているのだけれど、いわゆる有名希少酒ばかりで面白くない。もっと知られざる小さくてもいい日本酒を置いて欲しい”ということが書かれていました。


有名希少酒とは十四代であり、田酒であり、黒龍であり、飛露喜であり、磯自慢であり・・・・・あああ、全部私ン処でメインを張っているお酒ばかりではないですか。


んで、知られざるいい日本酒とは、隆とか、花陽浴とか、竹鶴とか、貴とか、綿屋とか、南とか、琵琶のさざ浪とか、白露水垂とか・・・・と続くのです。


なぁぁんだ、それも全部使ったことがあるお酒・・・っていうか、すでに15年くらい前から注目している蔵がたくさん・・・なんであります。


「有名希少酒ばかりでおもしろくない」は私ン処のことか・・・と被害妄想をたくましくしていじけるまもなく、知られざるのレベルがその程度ならば、自分のリサーチ能力の欠如と日本酒への見識の低さを嘆くこともないのです。


「知られざる」の蔵の最上と、メインとなるお酒を味わい、自分の料理とともにあわせ、お客様の反応(これが一番大事)をみつつ、残念ながら今は私の料理と他のお酒のラインアップの中に入る余地がなくて落ちていったお酒がたくさんあります。日本酒特集などで「今注目の・・・」の大半は使ってみたし味わってみたけれど、「もうちょっとがんばってね」というクラスであることが多いのです。


サイト上ではお酒を否定的に語ることはほとんどありませんが、実際自分の眼鏡にかなうかどうかとなるとかなり厳しい判断基準をもっているつもりです。有名希少酒であっても使いたいお酒は、地道に長い時間をかけてお付き合いをして常備できるようなったのです。そういう四半世紀以上の積み重ねを考えると、ずっと店の主要ラインアップに並ぶ日本酒は店の歴史として宝物のようなお酒であり、誰がどう飲んでも文句が出ない日本酒なのです。


しかしながら宝物であっても、田酒は純米大吟醸斗瓶や山廃をできれば一年寝かせて使い、飛露喜は特選純吟の平成21年と愛山純米吟醸の一年熟成を、磯自慢は熟成させた山田錦純米大吟と愛山純米大吟、ビンテージ35の熟成を、黒龍はしずく、石田屋 二左衛門を一年通して、十四代は最低でも大吟クラスと純吟クラスを数種類。天狗舞は長期熟成した大吟クラスを。。。。と味しいのは当たり前ジャンと揶揄されるお酒達を、さらに他では味わえないレベルでお出しする試行錯誤を続けています。それらをみれば「有名希少酒でおもしろくない」なんて言わせない小さな自信があります。


通り一遍に店のメニューを見ただけで店のお酒のレベルを推し量る程度仕事をしていたら、四半世紀の地道な積み重ねが泣いてしまいますよね。


日本酒は蔵の意思を尊重し、さらに自分の料理との相性を考えながら熟成させるべきものは熟成させ、その酒が最高のパフォーマンスを発揮できる状態でお出ししなくてはなりません。そういうお酒への尊敬と愛情だけは忘れていないつもりです。それに比べたら有名酒であるからとか発掘したであるとか、高いだけとかいう議論には耳を貸す必要はないのかもしれません。