修行にまつわるお話〜その3


「勉強する」と「修行する」の違いはなんなでしょうね。


こと料理に関して言えば、「勉強した」だけでは店をいきなり開くにはかなりの困難があります。たとえば調理師学校には1−2年の勉強の期間があり、料理に関する様々な仕事を一通り学びます。生徒の集大成である卒業記念の料理の審査員を長く仰せつかってきてわかるのは、全体の5%くらいの上位の生徒にはすぐに店を開ける程度の能力があるかに見える料理を作ることができていると言うことです。しかしながら、彼もしくは彼女がその技術で開店したとしても店を成功させることはその時点では100%不可能なのです。それだけ勉強して一応学んだ技術と、現場での能力は大きな開きがあるのですね。実際優秀な生徒が研修にやってきても、最初は全く使い物になりません。


何が違うのか。技術が身についていないということなのです。


「修行」というのは現場で仕事を繰り返し、同じ仕事でも様々なシチュエーションの違いの中でその技術を身につけることです。


教えてもらって理解し、「はい、やってみて」と教えられた仕事をその通り再現することはさして難しくはありません。しかしながら、実際の現場ではスピードも要求され、魚の日々の個性の違いに対応し、一人分の仕事と十人分の仕事の変化にさじ加減をし・・・などと際限なくいくつもの対応を迫られ、その中で常に安定した仕事ができて初めて商売として成り立つのです。それが、焼く揚げる煮る切る、献立を組み立てる、器を考える、食材を仕入れる・・・・とさらに多種多様に日々繰り返されます。それらがいつでも柔軟にこなせて初めて「身につく」と言えるのですね。ですから、一年や二年の「勉強」では作業をなぞっただけということになってしまうのです。


私の個人的な感覚だけで言わせていただければ、最初の三年で掃除と仕事の段取りが身につき、次の二年で焼く揚げるが早ければ身につき、次の五年で煮炊きが身につき・・・と十年を一区切りにして日本料理の一応の一通りがなんかとクリアできるような気がします。もちろんもっと早く身につけられる俊才もいますし、私のように二十年目でやっと目鼻がついてきたようなボンクラもいるってことなのですね。


最初の三年くらいは早く一人前になりたいと焦ってばかりいるのですが、十年二十年たつと「あのときなんであんなにアホタレだったんだろう」と反省することしきりなのです。修行なんて言うのはそうしたものです。