杜氏 農口尚彦さん


昨日のNHK「プロフェッショナルの流儀」の主人公は杜氏 農口尚彦さんでありました。


このところこの手の番組は自分の世の中を見る目を曇らせるような気がして敬遠していたのですが、農口さんでは見ないわけにはいきません。



農口さんのお酒に始めてであったのは昭和50年代半ば過ぎの頃、菊姫大吟醸でした。


この日記では何度も語っているように、農口さんの菊姫出会わなかったら今の店のお酒は存在しません。


そのころ愛読していた雑誌「四季の味」には新潟の酒店「ほし乃」さんご主人のエッセイが連載されていて、そこには度々菊姫大吟醸がいかに素晴らしいお酒であるかが力説されていました。世間はまだ大手全盛の時代、地酒ブームは始まっていたとはいえ私ン処のような日本料理店に地酒を置くのは居酒屋に鞍替えしたかと思われるような所業であったのです。


やっと販売店を見つけた菊姫、買ってきた大吟醸を口に含んだときの衝撃は、昨日お話したハンス・ウェグナーのチャイナ・チェアに初めて座ったときの同じようなもの。呆然としてしばらく言葉が出ないのです。


「世の中にこんな美しい日本酒が存在したんだぁ」


学生時代に熱燗を無理やり飲まされたトラウマを抱えた私の目が大きく見開かれた瞬間でした。


その当時はまだ大吟醸そのものがあまり多くは出回っていない時代でしたが、こんな美味しいお酒は是非お客様に味わっていただきたい・・・とすぐに店で出し始めたのです。それから私の農口さんへの傾倒が始まりました。一時は店のお酒を純米から大吟醸まですべて菊姫で揃えてもいいか・・・と思うほどであったのです。


あの農口さんの菊姫大吟醸との出会いが、当時の「真っ当な日本料理店には日本酒は一種類で充分」という考え方を大きく方向転換させそれから30年の間に今の弁いちのお酒のラインアップが出来上がったのです。



基本が出会いの感動であったように、それから集めた日本酒はすべて自分で飲んだときの感動が中心線にあります。「このお酒が利益を生んでくれるか?」とか「どうやってお客様に受けるか?」よりも先に、あの呆然とする美味しさのあるお酒、造り手への尊敬の気持ちで満たされるようなお酒であることが大切なのです。


ですから当然のように敬愛してやまない蔵元と杜氏が造るものはその最高の技術の結晶が欲しいのです。打ちのめされるほど美しくて美味しいお酒でなくてはならのいのです。「私が苦労した集めたお酒を飲んでみて」というような苦労自慢ではないことはご理解いただけると思います。


お客様のお席に伺って「この農口さんの逸品は・・・」などとお酒の出来上がり方ほかまつわるストーリーをついお話してしまうのは根幹の感動がそうさせるのですね。


農口さんが、中さんが、波瀬さんが、高木さんが、多田さんが、青島さんが、久慈さんが、丸尾さんが、白木さんが・・・・と造り手への尊敬の気持ちがその蔵の最上だったり希少だったりするお酒を集めさせ、ひとりでも多くのお客様に、お客様はまだ出会われていない私が感じた感動をお伝えしたい・・・この原点が農口さんなのでした。


そういう思いを再認識しつつ見た番組でした。