受け継いでいない江戸の料理


twitter上で話題になって思い返していました。


親子三代にわたって料理人の家系であるにも関わらず、父や祖父の仕事をちっとも受け継いでいないのです、私。


ずっと以前に店の歴史の一部で祖父の経歴をお話しました。大正期に田舎町の料理人が東京へ修行に出ることのハードルの高さは、今では想像することができません。当時東京帰りというだけで破格の扱いで若くして調理長に迎えられたという事実が物語っているかと思うのですが、私自身も祖父の話を「ふーーん」と聞くしかありませんでした。


本来ならそういう祖父や父の仕事をしっかり受け継いでこそ三代目といえるのでしょうが、時代はそういうものではありませんでした。


私が大阪に修行に出た昭和50年代は、東京にも関西料理の影響が強く現れていた時代でした。薄味で洗礼された献立こそがこれからの時代を担う日本料理で、東京で養われた江戸の料理はどんどん衰退していったのです。だからこそ関西へ修行に出たわけでもあるのですが。


修行から戻ってきても、二十代のただでさえ鼻っ柱の強いころですから、自分が学んできたもの(たいしたことは覚えていないにもかかわらず)が時代の先端で、古いものは捨てていっても問題はない・・・と信じてしまっていたのです。実際父や祖父の(祖父はすでにほとんど調理場には立っていませんでしたが)仕事は今様に請けるものとは思えなかったのです。


実際、伝統的思われる日本料理でさえ、30年前に最先端だと思っていた料理も生き残っているものは少なく、料理は時代の変化、流通の変化で激しく変っているのが実情です。昔の料理をそのまま受け継いだとしてもそのまま使えることはほぼないといっていいのですが、あの頃もっと真摯に祖父の仕事をもっと学んでいれば・・・・もっと幅の広い料理人になれたかもしれません。天から授かったアドバンテージをみすみす捨てていたのかも。。。情けない。