受け継いだもの


今日の午後から最終日まではお節料理の仕込みだけに専念できます。


お節料理に入る品物にはこの時期一回だけ作るものがたくさんあります。


黒豆、田作り、キントン、二色玉子、昆布巻き、慈姑などの煮物などなど、お節料理にしか使わない料理は経験豊富な料理人といっても、20年なら二十回だけしかやったことがないのです。ですから、10年選手くらいの若い板前さんがなんなくお節料理を作っておられると、この人は天才ではないかと恐れおののいてしまいます。


経験の少ない料理を注文の数を合わせてロスなく仕上げ、大晦日にあわせて段取りを組み、しかも原価をきっちりおさえる。ボンクラな私なんぞ40歳も過ぎた頃やっと自分なりのお節料理を商売として成り立たせる技術を身に付けられたくらいで、祖父・父の代から数十年ずっと受け継がれたものがあるにもかかわらず、自分の仕事のためには20年近い歳月が必要であったのです。それくらいお節料理というのは特別な仕事なのです。



昨日仕込んでいた田作りは二十台の前半に祖父から教わりました。


まさに手取り足取り・・・ながら、落語の修業ではありませんが、一回ぽっきりの授業でした。


大正期に東京で修行をしてきた祖父には計量は全く無縁のお話で、「醤油はこんなもん」「砂糖はこれくらいだな」という教え方。そばで見つめながら目分量を計量に置き換えてメモをとったものが今でも生きています。


それでも教わったことがそのまま表現できるようになるには数年(数回)がかかりました。


田作りはカタクチ鰯がパリッと仕上がりつつ、甘辛いたれがしっとりからまり、時間が経っても照りが落ちないようにしなくてはなりません。乾煎りは焦げないように時間をかけてゆっくりと、絡ませるたれも苦味が出ないように煮詰め、仕上げのころあいを見定めるのがとても難しい仕事です。煎ったカタクチ鰯とたれの分量の差をみると、「これで足りるの?」というくらいの落差があるのですが、その分量でなければべちゃべちゃの田作りになってしまうのです。たぶん教則本を見ただけではいい仕事はできないはず。以前にマーケットで売っている田作りを食べてみて、それがカタクチ鰯の甘辛煮みたいになっていてビックリしたことがあります。祖父から教わった田作りとは似ても似つかぬシロモンでありました。


何の変哲もない田作りながら心の中では祖父から受け継いだ仕事として小さな誇りを持っています。