通の誤解


お酒の注文が入ったと同時に「自称”通”」であることが分かるお客様というのはよくあります。


ある一見のお客様、ご本人の意識も周りの方々もその方が日本酒通であると認めていることはすぐにわかりました。「開運ある?」とお尋ねがあり、波瀬正吉さんの遺作である「波瀬正吉 大吟醸斗瓶純米首つり無濾過生原酒」をお出ししたのです。


たまたまそのボトルの最後の一杯分を使い切る分量であったのですが、即「このお酒、いつ封切ったの?」とそのお客様。


「はい、一週間前です」と私。


明らかに「俺に古くなって酸化した酒を出したなぁ」というお気持ちが見て取れます。


「ご存じかと思いますがが、お酒は開けたてがすべて美味しいとは限りませんので。。。。試しに開けたての同じボトルを飲んでみますか?」と新しい同じ波瀬をグラスに注ぎました。


「たぶん、今開けたほうが固くてとげとげしさを感じるかと思います。ボトル最後の一杯分はまるみが出てふくよかさがございませんでしょうか?」



ゆっくりと味わい「そう、そうなんだよねぇ。時間がたつと柔らかくなるんだよぉ」と周りのお客様にお話しされます。これでこの日本酒通の一ページには「日本酒は封を切ったばかりがおいしいわけではない」の一項目が加えられました。私は「どうだ!」とこれ見よがしには決して振舞わないように心がけなければいけません。


そこん所が難しい。




というわけで、
辛口でなければ日本酒ではないとか、純米酒以外のアル添酒はすべてはまやかしものであるとか、新酒のできたてこそがおいしいお酒であるとか、日本酒は古くなると酢になるとか、というのと同じように、日本酒は封を切ったばかりが最上で、あとはすぐに劣化するというのは全くの思い込みです。日本人の「新」なもの「純」なものへの美しい思い込みが誤解を生むのです。


よくお客様の前で日本酒ボトルの封を切ってお出しすると「封切のおいしいところだねぇ、ありがとう」とおっしゃっていただきますが、封切したてがおいしいお酒と、ある程度の時間をへて熟成するお酒の両方があるのですね。


このボトルは封を切って何日で使い切るべきかはそのボトルによってことなり、そのあたりは常に気にしつつ召し上がっていただいているのです。