お大尽その3


昨日お話しお大尽家の婚礼は自宅で行われました。お大尽だから自宅であったのではなく、昭和20年代までは婚礼は自宅で行うのが当たり前であったのです。ほかに婚礼をやる場所なんぞ存在せず、自宅以外で祝い事をすることは考えられませんでした。


昭和30年代に入って地元公民館や公会堂を使うことも増え、その後やっと結婚式場というやつができ始めたのです。ホテルウェディングはまだその後のことです。


仕出し屋としての私ン処の本領は、当時婚礼や法事で発揮されていました。自宅で行われる冠婚葬祭は親戚や近所の女性が集まって料理をする時代があり、続いて仕出し屋や魚屋が料理を運んだり、ご自宅の御勝手で料理をさせていただきました。



ちょっと前、お客さまでお越しになった妙齢のご婦人が「あらぁぁ、あなた、大きく立派になってぇ」と私の顔を見ておっしゃいました。聞けば、このご婦人がこの地にお嫁にいらしたとき(やっぱりお大尽のお家です)、婚礼の席の水屋(御勝手)に幼い私が父母に付きまとってうろうろしていたというのです。40-50年も前のことをよく覚えていらっしゃるもんだと感心することしきりであったのですが、料理屋の仕出し仕事に幼児がくっついていくというのも昭和30年代のほのぼのした日本の風景でもありますね。



お大尽のお家には仕出し屋が伺うと立派な器が数十人分ひと揃えがそろってもいました。仕出しをする時には事前にお宅へお伺いして器を見せていただき、それによって献立も決められました。


いまでもお付き合いのあるお大尽ご家系のお宅では、私ン処の紹介で輪島の漆器屋が入って本膳二の膳までのお膳と器の(確か)二十人分を納入したことがありました。娘さん二人の婚礼があったときいつでも使えるように用意したものであったのです。いわば結婚支度の一部ですね。輪島二十人分ひと揃え・・・・お椀だけでも今一客最低五万円です。果たしていくらかかったのでしょう。。。。