いき過ぎない仕事

clementia2008-12-05



写真は湯葉博多。


生の平湯葉に芝海老のすり身をゆるく伸ばしたものを薄ーーくぬって一枚もう一枚と五枚ほど重ねます。こうやって重ねることを和食の世界では「博多」と呼びます。そうして重ねた湯葉を蒸し器で蒸し、表面にこんがり焼き目をつけて薄いお出汁で焚きます。


今月のお椀の脇役として登場する湯葉博多はこんな風に仕立てるのですが、いつも注意するのは仕事をしすぎないこと。昔職人の仕事は込み入っていればいるほどいい料理と思っていました。ややもすると素材の持ち味を殺すほどの仕事でも、仕事を積み重ねたこと自体に満足してしまってお客様の顔をみていないこともありました。


湯葉博多の味わいの主役は海老ではなくて湯葉そのものであるべきです。しかも煮物椀の脇役の湯葉にほんのちょっと仕事がしてあることがいいのではないかな?と思うのです。


仕事をしすぎず、かといって、持ち味そのものを・・・と「魚なら活き身の生が最上」とか「軽く塩をふって炙るだけ」とか「変に味をつけないほうが美味しい」というような観念的な思い入れにとらわれることも困りものです。素材に向き合って全体のコースの中で適切な仕事を加えることが大切なんでしょうね。