巨星落つ


加藤周一さんが亡くなりました。


20-30代にかけて常に私の傍らには加藤さんの全集が置かれていました。読んでいることの30%も理解できないのに、知の巨人加藤周一が側にあるだけで精神を常に浄化していられるような気がしていたのです。


最初はもちろん「羊の歌」 友人の情熱的な加藤ワールドへの誘いに乗って、自分とはあまりにもかけ離れた加藤さんの幼少から青春時代の知性の鍛錬に憧れつつ、次第にその多様な評論の世界に導かれていきました。当時私の親しい友人の間では加藤周一を読んでいることが流行のTVドラマを見るのと同じように共通の話題でありました。


特に最初に板前の世界に飛び込んだとき、日常の調理場での会話は「○○で飲んでカラオケで騒いだ話」「昨日の阪神の話」「週末の競馬の話」・・・しかなくて、大学を出たばかりの私は知的欲求に飢えていました。いや、ちょっと違うなぁ。仕事上では全くのボンちゃん(初心者)で何をやっても愚鈍で手先は不器用、怒られてばかりの日々に、理論武装と他者(職人)との差別化を加藤周一を読むことでかろうじて落とし前をつけて自己満足に浸っていたのです。全く姑息なヤツです。とはいえ、理解できないながらも仕事に疲れ果てた身体でも一生懸命読まなくては読み進めない加藤周一の全集一冊一冊は心を躍らせれくれていました。


著作を読みつつ思索にふける習慣はその時代の加藤周一森有正金子光晴などで養われたように思います。


考えてみたらこの2-3年この三人の著作を読み返すことを全くしていませんでした。今、「羊の歌」を読んだらどんな風に感じるんでしょう。本棚に上ってみなくては。