そういえばワイン


クロード・デュガのグリオット・シャンベルタンのことを書いていて思い出したこと。日本酒が劇的美味しくなってから30年は経っていないことと同様に、ワインが日本人に受け入れられるようになってからだって30年は経っていません。赤玉ポートワインがワインの代名詞であった時期、ちょっと下ってマティウス・ロゼが美味しいと思った時期、ドイツワインに人気が殺到した時期。五大シャトーはもちろん、ロマネ・コンティなんて庶民には名前さえ耳にしたことがなかった時代はほんの30年前であったのです。


いくつかのワインブームを経て決定的であったのは1990年代半ばのブームです。あの時を境に私ン処のような日本料理店でも赤ワインを飲んでいただけるようになりました。それまでどれほどいい赤ワインをお安い設定の置いても見向きもしてくださらなかったのに、ブームというのは恐ろしい、猫も杓子も赤ワイン、昔あんなに日本人が好きだったドイツワインには自称ワイン通はすでに見向きもしませんでした。あの頃日本人のワインの知識も劇的に増大しました。「講釈でワインを飲む」時代はあのブームから始まったような気がします。かく言う私も、今まで未知だった造り手の諸事情まで見えてきたのです。それ以前はマダム・ビーズがどんな人かも、アンリ・ジャイエがどれほどの人かもちっとも知らなかったのです。それ以前に十年近くワインに携わっていたのに・・・です。


そう、あの大ワインブームからnetの時代にさしかかってワインの情報は瞬く間に氾濫しました。それからというもの一般消費者の知識はたくましく増え、私たちが置いてきぼりを食いそうになることも頻繁です。そんなときでも唯一心のよりどころになるのは年季の違い。某有名ソムリエだって私がワインに興味を持ち始めたときにはまだ自販機でコーラを買っていた年代ですし、どれほど立派な素人の講釈を聞いても、日本のワインの歴史の未熟さを歴史とともに知っているという実体験があると、敬意は表しても脅威は感じないものです。たくさんの情報をもっていそうに見えても、ソムリエも含め日本人のほとんどのスタート地点はそれほど違わない時期だったのです。ワインも日本酒も日本全体がちょっと前にやっと目覚めたところなのですから。その歴史は本当に浅いのです。


私がどんなに御託を並べたとしても、その知識自体はこの15年ほどの間に増えたもの、たかがしれている・・・と思えば皆さんもすぐにこの当たり前では追いつけるんですよね。