修行からの帰還


私の料理修行はもう30年も前のお話。大阪の地でした。


あの当時でも「今の修行なんて昔に比べたら楽なモンや。昔はなぁぁ・・・」と親方(おやっさん)からも祖父からも父からも何度も昔話を聞かされていました。


体力的に慣れてくれば楽珍なはずな修行も、封建的な上下関係は進取の精神に富んだ開かれた学生時代を謳歌してきた私には苦痛以外の何者でもありませんでした。まっ、「修行」と名がつくわけですから、いつの時代でもそれなりの苦労が伴うからこそ、乗り越えた時の成長がその後の人生に大きな糧になるというのがいかにも日本的な思考です。


そんな修行を終えて帰ったその日、生まれて始めてみるような父と母の嬉しそうな笑顔がありました。「お疲れさん」などという言葉をかけてもらったのも初めて、夕食にご馳走が並んだのも両親の息子への思いがこめられていたに違いありません。息子の私にしてみると「いやぁぁ、それほどでも」という照れもあってなにかこそばゆい気がしていたのですが、親の子供に対する気持ちと言うのはいつの時代も同じなのでしょうね。今、自分の子供たちがもうじきその時の私と同じ年頃になりつつあると、同じ状況であれば同じように接するような気がします。


翻って相撲界での修行、悲惨な「死のけいこ事件」を思うと、同じような絶対服従の上下関係の中で行われたリンチ。修行に出した子供を死なせてしまうような環境で耐えさせていたと思うと、親の心は張り裂けそうになるに違いありません。30年前の私の両親の笑顔と対比するとなんといたたまれないことか。あってはならないことです。