神の手


この時期には調理師学校から生徒が研修にやってきます。約一ヶ月、現場を実体験するとてもいい企画です。


今年やってきたのは二人の十代の女の子。お客さん扱いでなく追廻として仕事をしてもらいます。とはいっても、私の店では初日からでも魚の三枚おろしも盛り付けも玉子焼きもやってもらうようにしています。


昨日の仕事は鰆の下処理。15本ほど、トータル30kgの鰆をおろします。


普段ですと私は手を出さずに、研修生にたくさんの魚にふれらるようにするのですが、仕事が少々混んでいたために私も参加して仕事を始めました。仕事の速さと正確さ美しさは当然のように違って、私が11本処理する間に研修生は2本づつ。年季が違うのですから当たり前です。


そういえば私が追廻の頃、鰻の処理を5年目の先輩と始めた時、私が3本やる間に先輩は45本。あまりの実力の差に呆然とし、この道は諦めた方がいいのか?向いてないのか?と思ったことがありました。


それに比べれば「2:11」はまだマシかも。


研修生たちは日々の現場の仕事を冷静に見つめれば、あまりの実力の差に歴然とする・・・くらいの気持ちをもってくれるとこれからの進歩が期待できるというものです。


いまでこそ、「料理の仕事に神業はない。あらゆる仕事は地道な積み重ねですべての料理人ができるようになる」などとうそぶいている私ですが、追廻の頃には「一生調理長ほどの技術は身につかないかもしれない」と真剣に悩んだのです。私が調理長を神の手・・・と思ったように、研修生も打ちのめされているのでしょうか?今時の若者はそんなに真剣じゃぁないかもしれませんね。