原価


ずっと昔、吉兆ご主人の湯木貞一さんのお話にこんなのがありました。


「由緒ある茶懐石の料理場合、予算はあまり気にすることがありません。使っているお道具が○百万 ○千万円なんですから、それに比べたら料理の原価など知れたものです」と。


そこで、一万円が二万円になってもどうということはないのですね。



私がこの道に入った頃昭和50年代でも、小さな店で原価計算をキッチリやる店は多くはありませんでした。私が修行に入った店は経営者と調理長が別でしたから、原価計算は調理長の大切な役割だったのが、私の目にはとても新鮮に見えたものです。私の実家なんぞも父がやっと原価に目覚め始めた頃。巷に全国チェーンの飲食店は数少なく、経営を見据えた料理店はまだ少数派であったのです。


さらに祖父の代(戦争前)に目を向ければ、原価計算どころか人件費も考えなくてもよかった時代です。人手は余るほどあり、人件費がかさむ時代ではありませんでした。丼勘定でも店は充分に成り立ったのです。


よく祖父と父が出来上がった料理を眺めあって「○百円ってところだな」などと話していたことを覚えています。料理の値段なんてそれで大きな間違いはなかったのです。


料理屋のお客様も値段のことを細かく言う方は少ない有難い時代でした。料理屋を使うクラスがしっかり分かれていたんでしょうね。「飲み放題○○円」「幹事さん安心○千円ぽっきり」なんてありえない時代のことです。グローバル化はますます進み、経営効率を考える店だけが生き残る時代では信じられないのどかなな世の中でした。