朝鮮通信使


以前にインタービューでお見えいただいた鈴木真弓さんに、彼女が長い時間をかけて取材をしている朝鮮通信使のお話をお伺いしてその歴史を初めて知りました。確かに高校の歴史の時間に、江戸時代には朝鮮通信使というものがあったと教科書にあったのは記憶していたのですが、実体を聞くとただ「歴史上にあった」と聞くのとは大変な印象の違いがありました。


先日BSで録画しておいた朝鮮通信使を取り上げた2時間弱に及ぶTV番組はその時の驚きを映像で見せてくれました。


江戸時代に12回にわたって行われた朝鮮通信使は、それだけを聞けば、朝鮮から日本に表敬訪問があったと思うだけです。考えてみれば秀吉が行った朝鮮出兵の歴史の傷跡は、韓国人が今でも「前の戦争」というときには「秀吉との戦い」を表しているというほどかの国の人々に子々孫々伝えられる国の悲劇であったのです。その秀吉の無謀からたった何十年か後に家康の時代になった日本に国使を携えて日本にやってきたのが朝鮮通信使です。朝鮮にとっては日本の国の実情をつぶさに偵察するため、徳川幕府にとっては外国から表敬訪問を受けることで国の権威を高めるため、そして民衆にとっては鎖国の時代に対馬、九州を経て江戸まで数ヶ月をかけて行列を成す驚異の外国事情をものめずらしく見るため。国中にとって大変な一大イベントであったことが番組を通じてよく理解できました。細かくたどれば国としてどちらが上か・・・のような様々な葛藤もありつつ、江戸時代には両国が対等に付き合える時代があったのでした。その後明治なって通信使が途絶え、征韓論から韓国併合まで悲しい歴史を回避すには、朝鮮通信使継続があれば大きな役割をになったのでしょうね。