桶買い


日本酒の場合、大手メーカーが地方の蔵に自社用の酒を造らせて仕入ブレンドして使う・・・これを桶買いと言います。小さな下請け蔵から見ると桶売り。「灘の生一本(なだのきいっぽん)」という言葉は「灘のお酒だけを使っていますよ」という意味で、「桶買いブレンドのお酒ではありません」を強調する言葉でもあるのです。つまり桶買いに対する品質の差別化をはかる手法なのです。


日本酒の品質が低下し、消費量がどんどん減ってきたのは桶売り桶買いが大きく影響していると信じられています。大手メーカーは量産のために地方の蔵を下請けにする。下請けの小さな蔵は自社ブランドで販売するわけではないので作りに対する誇りや情熱は失われ品質は低下する。材料は原価の安い方へ、造りは安直な方へ、翌日の頭痛だけを促す悪品質の酒の横行の一因は桶買いにある・・・と。


しかしながら、桶買いがすべて悪かったとステレオタイプに批判するのは正しくはありません。例えば「剣菱」は桶買いのオファーをするときに、酒米山田錦を使うこと。麹は箱麹か麹蓋を使って手作りにし山廃仕込にすること。造った酒は二年寝かせることなどの徹底した品質管理を提示したと聞きます。


その当時の地方の小さな蔵は品質のいいものを造りたくても桶売りのためにいいものを造ることができなかったと信じているとしたら大きな間違いです。地方の蔵は地元向けの三倍増醸酒を造るのが普通で、純米造りたくても大手メーカーのために志を曲げていたのではないのです。いい酒だけを造って売りたいという土壌なんぞ日本全体でできていなかったのです。増してや地方の小さい蔵は設備もなく、技術もなく、販売ルートも地元だけ、酒質を考えるゆとりなんぞなかった日本が貧しい時代だったことを忘れてはいけません。大手メーカーの桶買いは一部では大手の技術を小さな蔵に広め、財政的に潤す救いの神でもあったのです。


今の時代の価値観で過去を批判することは簡単で、今の価値観しか持ち合わせない方にはその基準で過去を槍玉に挙げるのは説得力があるように思えてしまいます。時代が違えば価値観も時代の空気も大きく違うことを忘れていはいけません。大手メーカーが日本酒を量産していた時代、お酒はおいしさを味わうものではなくて酔うためのものでした。大吟醸など見たことも飲んだこともない時代と、大吟醸や極上のワインが巷にあふれる時代ではお酒に求める味わいはまったく違います。


「石田屋」を飲みながら「昔の酒は不味かったようなぁ」と言ったって、当時はその不味かったお酒が日本の最上であったかもしれません。当時の日本酒の技術、当時の私たちの経済状況が市場に流布させていたお酒がそんなものであったのだと理解した方がいいのだと思います。お酒の歴史と日本人の食に対する価値観の歴史を頭に入れた上で、日本酒の歴史の流れを正しく判断し、今日本中で誰もが「美味しいなぁぁ」と喉を鳴らすようなお酒で埋め尽くすためにはどうしたらいいかを考えるべきです。需要がないとことには供給は存在しません。私たち消費者の舌が正しく美味しいものを求め続けなければ供給はされないのです。