家が培ったもの


「食は三代」といわれます。味覚は三代かけて形成されるというような意味なのでしょうか。


料理店の三代目に生まれ、生活の中に「食」があるのが当たり前に育ったことがどれほど味覚形成に関わっているのか?実際自分を振り返るとよくわかりません。ただ、我が息子や娘を見ていると、普通の家庭よりはエンゲル係数が高く、食に関心が高い中で育ってきたことだけは間違いないと思えます。幸せであったかどうかはさておき、他の家庭では味わえないものを当たり前に幼い頃から口にしてきて、「回りの友達にはあまり言うなよ」という生意気な経験もしてきました。


家庭環境が子供たちの成長に大きく関わることは確かなはずで、音楽に溢れている家庭では子供が音楽に触れるチャンスは多くなり、本が溢れる家庭では子供は本を読むことが当たり前に感じる子供が育つ可能性が高くなります。


昨日お越しいただいたお客様は、文学的にも経済的にも政治的にも文化的にも4〜5代前から日本の超一流が親族に揃った家庭で育たれた方で、おそらく骨董などは生まれたときから人もうらやむ品々が当たり前にまわりにごろごろしているようなお家にあったはずです。食も当然のように洗礼されたものであったのでしょう。


お帰りになる頃にその素性を知ってドキドキしたのですが、お世辞90%とはいえ「美味しかったよ」「器もちゃんとして物使ってるね」とおっしゃっていただいて小さなガッツポーズを心の中で作ったのでした。


そういう家系に育った方はどの方面を手がけても一流になれるのでしょうか?