秘密の一振り


net上でお付き合いのある方がインドカレーに目覚め、どんなスパイスを使ったらあんなに美味しくなるのだろうと調べ始めたとお伺いしました。


今でこそ「インドには各種の豊富なスパイスはあっても”カレー粉”なるものは存在しない」という事実を知る方は多いと思います。30年前、私がこの商売に入るか入らないかという頃、地方都市にはインド料理の専門店はほとんどありませんでした。近所にできたインド料理店のお兄ちゃんとおしゃべりをするようになって、彼がインド人ではなくてパキスタン人だと知っても、彼の作るカレーは正真正銘のインドカレーであると疑いもしなかったのどかな時代です。


そんな時代に、二十数種類のスパイスの小袋を一まとめにして「自分で作るカレー粉」なるものを売っていました。スパイスまで自分で作れば絶対に美味しいはずだ、こんなにたくさんのスパイスを使えば奥深い味になること請け合い、インドで食べるインドカレーと同じものが出来るに違いない・・・と、各種のスパイスを混ぜフライパンで香りをだして出来上がったカレーは、自分で作った満足感もあってずいぶんと美味しいような気がしていたのです。が、冷静に考えてみるとそのカレー粉は限りなく市販のカレー粉に近いものでした。確かに一つ一つの香りは立っていましたが。


得体の知れないものを次々に投入すれば味わいは奥深くなるはずだと思い込むこと。その種類が多ければ多いほど美味しくなると信じること。最後に公表できない秘密の一振りをパラパラッと加えれば、醜いアヒルの子が白鳥に変わるように劇的な変化があると勘違いすること。私が三十年前にカレー粉で思い込んでいたことは、例えば今の時代にも当てはまるかもしれません。


よくこの日記で槍玉に挙げる「こだわりラーメン屋さん」のスープ、数種の昆布を使い、トンコツに鶏がら、鰹節に干し貝柱、干し海老と次々に投入し、「これは秘密です」という幻の何かを加えて十数時間、時には数日かけて作られたスープは奥深い味わいで。。。というのはどうでしょう。私が経験で知ったのは、コーリアンダーは必要でもオレガノはいらないかもしれないということ。煮だしてしまう昆布はどんな種類でも変わらないかもしれないということ。時間をかければかけるほど美味しくなるというのは幻想だということ。ある特定の食材にはこのスパイスは適切でもあのスバイスは邪魔であることもあるということ。自分の味のために必要なものは多ければ多いほどいいというわけではないのです。


あれもこれもそれも闇雲に足して足して足してという手法で美味しいものを作る職人を私は知りません。美味しいものは美味しくなるために必要な食材のみを適正な時に適正な時間をかけて調理してこそ美味しくなるのです。最後の秘密をひた隠しにするのは、知られてしまえば誰でも出来ることなのかもしれません。


実際今お惣菜で作るカレーに入れるスパイスは必要なもの4-5種類であることもあります。


この15年くらいで身にしみてわかるのは、料理というのは計算式のように正確に構築され、最後の一振りはあくまで職人の感性の微調整であるということなのです。美味しいカレーが美味しくなるために必要充分なスパイスのみが必要であることに気づいたのはそんなに昔なことではないというのが我ながらお恥ずかしいお話ではあります。