悦楽のひとり仕事


多くの料理人が、引退も近くなると一人で少人数のお客様を相手にするような・・・できれば一日一組とか・・・の仕事をしてみたいものだと思うそうです。オーナーとか調理長といったトップに立つ人間でも、というより上に立つ人間であればあるほど人間関係の煩わしさから開放されたいという願いもあるのです。


私なんぞ、この仕事について以来ひとり仕事の経験が一度もありませんので、気軽には「ひとりでのんびりと」などとは言えないのですが、実際ひとりですべてをこなし、楽に食べて行けるほどの売上を達成するためには「のんびりと」では絶対に無理であることは明らかです。私が知るある真面目な料理人さんは奥様と二人、早朝から休憩時間もほとんどとらず夜遅くまで働いて「なんとかですよぉ」とおっしゃいます。手間をかけた仕事をすればするほど寝る間はなくなるのは当然のことです。


店の借金をすべて払い終え、土地も建物も自分のもの、子供もすべて成長し、できれば不動産収入とか資金運用で生活費は捻出できる・・・なんていう状況が引退前にできれば、「ひとりでのんびりといい仕事だけをして」という店ができるのでしょうが、一介の板前風情には果てしない夢のようです。案外生活に追われ借金に追われているからこそ気合の入った仕事でお客様を満足させられるのかもしれませんね。




逆に独り立ちした当初は人を雇うゆとりがなくてひとり仕事、という方も多くいます。開店資金を潤沢にもつ料理人なぞ、パパが山持ち・・・とかでもなければいませんし、修行時代の貯金でできるわけがありませんから、最初はひとりで回せる小さな規模から始めるというのは順当なやり方です。実は今年に入ってそんなお店を二軒ほど訪ねることがありました。ひとりで注文を聞き、おしぼりを出し、飲物の用意をして料理に取り掛かる。取り掛かったと思ったら次のフリーの客が入ってきてお待ちいただく、慌てて料理を仕上げるうちに次の客も。。。。料理を運びながら「ちょっとお待ちいただくかもしれません」と。料理は充分においしいのだけれどやっぱりひとりじゃぁ無理なんじゃない?軽めのランチがテーブルの上に現れるのに一時間かかりました。私は大変さが分かるだけに一時間を待つ心のゆとりがあるつもりではいましたが。。。いらいらしているお客様も目に付きました。


開店当初のひとり仕事、引退間近のひとり仕事、どちらも「悦楽の」とはいかないようです。