長時間は偉いか?

clementia2006-11-14



「ラーメンのスープをとるために朝三時から8時間かけてます」とか「ドミグラスソースを作るには三日間かかります」と聞くと、長時間かかるというだけでものすごく大変で、大変ゆえに美味しいものが出来そうな気がします。


反面、日本料理の出汁は瞬時に出来てしまいますし、お造りなんてただ魚屋で買ってきた魚を切るだけでできちゃうと思っておられる方も多いと思います。向こうを張るわけではありませんが、日本料理だって時間のかかるものはあります。そう、黒豆には四日間、青梅の豊後煮には五日間、棒鱈だったら一週間以上の時間がかかります。


とはいえ、黒豆のための四日間は、四日間鍋につきっきりなわけではもちろんなくて、放っておく時間がやたらに長いのです。四日間は真っ当な美味しさのために必要な時間ではあるのですが、時間が長いから偉いのではありません。


ラーメンスープのための8時間はさておき、同じように、ドミグラスソースのための三日間は、同じような必要な時間であるのです。真っ当に洋食の仕事をすれば三日間は驚く時間ではありません。さらに同じようにドミグラスソースも鍋につきっきりではありません。


周りを見たわたせば、時間をかけることが真っ当な仕事のための当たり前の作業であることを知っている料理人は、それを自慢げに語ることはありません。自己満足のための長時間である料理人は語りたがるように思えます。




写真のお椀は今月の献立「銀杏のすり流し」です。


祖父江町(愛知県稲沢)大粒の銀杏の殻を割り、実を取り出して茹で、薄皮を剥いて裏漉しします。里芋は大野市上庄農協、カマス御前崎産を三枚におろして塩を当てて酒を塗りながら焼きます。三つ葉は茨城産の地三つ葉。裏漉しした銀杏を出汁でのばして本葛で軽くとろみをつけ、焚き上げた里芋、焼いたカマス、下煮した三つ葉、生湯葉を盛ってすり流し地を張ります。


鍋の前に八時間つきっきりであくを取り続けることと、銀杏のすり流しを作ること、どちらが偉いか?どちらも偉いことではなくて、美味しいものを作るための普通の仕事です。美味しさを演出するために長時間を語るか、手間のかかる仕事を語るか、語ることはどちらもなにか小恥ずかしい仕業ではありますね。語ってしまった私もかなり恥ずかしいヤツです。