国産松茸

clementia2006-09-20



今年も松茸の季節がやってきました。最初に入荷したのは長野産、1kg¥120000という高値でした。



25年前、まだ調理師になって4-5年ひよっ子の頃のことです。京都の名店といわれる店に勉強のつもりで食べに出かけました。食べ歩きという言葉がやっと認知され始めたものの、グルメなんて言葉は巷では聞かれなかったという記憶があります。料理の値段が¥10000、10月に入って秋も深まりつつあった時期ですので、「¥10000も出せばきっと松茸」(25年前ですから)くらいに思っていた私の予想は見事にはずれ、土瓶蒸しはもちろんお椀に一切れの松茸も入っていませんでした。


四半世紀前の私の店では、もっと安い値段でも秋になれば松茸は当然。しかも国産なんてとんでもない、韓国産しか使わない(使えない)店でした。バブルよりも以前「食」がいまほど注目をあびていなかった頃では「こだわり」なんて連呼されていませんでした。


「松茸は国産しか使わない」と強く主張している京都のこの店のあり方は、料理全体を眺めても食材に対する真摯な姿勢が感じられました。田舎町に修行から戻り、あっという間に田舎色に染まってしまっていた私には、こういう食材への強固な意志を垣間見たことで身が洗われるな思いをしたのです。くどいようですが、「食材へのこだわり」などというマーケッティングが巷にあふれるようになる遥か以前の時代のことです。


まだ、店は父の時代、きっと自分の店をあの「松茸は国産しか使わない」志を持つ店にしてみたいと思って10数年、自分の代になってやっと少しだけそんな志に近づいたような気がします。今思えば25年前にでかけたあの名店は強固な意志で「国産」と念じていたのではなく、「松茸は国産が美味しいからそれだけを使うだけ」というほどの思いであったのかもしれません。がしかし、私なんぞは未だに強い意志を持っていないと、気持ちが流されてしまいそうなときがあります。むしろ、お得意様のほうが「あいつン処で外国産の松茸が出すわきゃない」と思ってくださっているような気がします。


「国産の松茸」は店の姿勢を現すための指標のひとつとして、いつも心の片隅に残しておきたい事柄なのです。