料理現場の美しさ〜その2


「料理場は美しくあるべきである」と大見得を切る私、実はずぼらで、無精者で、私生活では掃除はとても苦手です。


それでも仕事となると、なんとか私生活よりはましになるのは修行時代の先輩のおかげだと思います。修行時代の最初の一年間、ともかく「綺麗に仕事をせよ」「片付けることに徹っせよ」「仕事の後が汚い奴にいい職人はいない」と一日中厳しく躾けられました。


これだけ言われればサルでも身につくというほど。



修行時代に何を勉強したかというと、料理の方法でも、包丁の使い方でもなくて、掃除の仕方であったと確信しています。それがなにより大切なことであったと、今思い返しても先輩たちに感謝しています。


最初の三年くらいの時期に、掃除とか片付けが身体に身にしみていない職人は、一生掃除が行き届かないことを気持ちが悪いと思わない職人になります。長い間の実体験で断言できます。同じように、器を暖めないで料理を盛ることとか、包丁の柄が汚くても気持ち悪くないとかいうセンスに関わる事柄も、最初の三年くらいの間にDNAに組み入れられるのではないかと思うほど、身につくかどうかが決まるのです。



調理師学校などでも生徒たちに、最初の修行先が如何に大事か・・・と力説するのですが、ほとんどの若い者は、大きな店、休みの多い店、給料が一円でも多い店、メディアに露出する店に流れていくのです。で、一年しないうちに落っこちる、こんなはずではないとあせる、楽でお金の多く入るほうへほうへと職人生活を台無しにしていくのです。