やっといいお酒が


日本酒を評価する能力において、お得意様の中でもずばぬけた力をお持ちだと信頼しているむの字屋さんが一連の酒造りの迷信のシリーズの中で「やっぱりどう贔屓目に見ても大手の造るお酒は不味い」という趣旨のコメントをしてくださいました。確かに私も巷におふれる大手の造るお酒に見るべきお酒は99.99%ないと言っていいと思います。私が例にあげた「月桂冠金賞受賞酒三年熟成」はかなりの稀少酒をさらに三年熟成させた手に入れることはほとんど不可能と思うようなお酒で、一般の方に「これだから大手も捨てたもんじゃぁない」といってもわけがわからないというのは至極当然です。


とはいえ、大手がダメで小さな蔵が造るものが押しなべて真面目に造られ美味しいか・・・というとこれも厳しく言えばそんな甘い状況ではないことも確かです。


日本酒全体のなかで誰もが気軽に手に入ってお安くしかも美味しいというお酒が稀であるという切ない現実がそこにあります。実際、安くて美味しいお酒が少量でもでき始めたのは日本酒の世界ではつい最近の事なのです。


「昔の二級酒は美味かった」というノスタルジックな言動や、逆に「昔の熱燗は飲めたもんではなかった」という今の日本酒の状況と昔の状況を混同したような言動で日本酒の歴史を歪曲して見てはいけません。私自身日本酒を知った昭和50年代を振り返ると、日本酒はまだまだ灘伏見の大手の時代でした。お酒は熱燗が当然で、純米、本醸造普通酒の区別を素人が知ることは全くありませんでした。普通酒が当たり前で、「灘伏見のお酒は美味い」と例外なく皆が思っていました。それ以上のお酒は市場で見ることもありませんでしたし、飲む経験もありませんでしたから、「美味しいの基準」は灘伏見大手のお酒であったのです。今飲む真っ当な美味しいお酒から考えれば「あんな不味いものよく飲んだものだ」と思うでしょうが、そんなお酒は世の中に存在しなかったのですから、当時はあれこそが日本酒で、日本人はあのお酒で酔えることに満足していたのです。日本人にとってお酒はある意味酔うための道具であって、お酒に美味しさを求めなくてもよかったのです。


当然のようにお酒は造れば売れる時代でした。大手メーカーは量産をし、桶売りをする地方の蔵も規模を拡大する事が正しい選択でした。消費者がそれを求めていたのですからそれ自体を現在の視点で否定的に見ることは無意味です。あの時代の雰囲気を知っている私から見ると日本全体が成長に次ぐ成長をしていた時代、「ちょっと待て、量よりもお金をかけても美味しいものを造ろうよ」という主張は受け入れられることはありませんでした。「造れば売れるんだからたくさん造ろう」「消費者はそんな美味い不味いなんてわかりゃしない」まさしくそういう時代でした。日本酒に洗礼を求めるには日本全体が成熟していませんでした。


そんな時代から地酒のブーム、吟醸酒のブームがあって今まで熱燗が飲めなかった方々も「日本酒を飲んでみたい」と思える美味しいお酒が飲める時代に入ったのです。とはいえ、そういう優れたお酒はまだ稀少で入手が簡単ではありません。


十四代本丸」や「王禄 渓」「磯自慢特別本醸造」「飛露喜特別純米」のようなお酒が日本中のどこでも手に入るようになり、すべての蔵のスタンダードな純米酒本醸造酒がこのレベルまで来ていれば、日本酒には新たな世界が見てくるでしょう。理想的に考えれば、技術力の蓄積も設備投資のための資金もある大手メーカーがこのくらいのお酒を当たり前に造ってくれれば、多くの日本酒ファンは手を打って喜ぶでしょう。しかし、まだ大手メーカーは造れば売れる時代を引きずり、消費者に美味しい不味いはわからん・・・と思っているのではないかという疑問さえわくほどです。大手メーカーが「これじゃホントに俺たちの作る日本酒はダメになってしまう」という危機感を持たなくては「本丸」をつくることはできません。同じように消費者もいつまでも「甘い辛い」だけの基準で日本酒をみていないで、美味しいお酒を実際に飲んでみて「大手メーカーに俺たちの飲みたいお酒はこんなんじゃない!」と強く主張しなくてはいけません。安いから酔えるから翌朝残らないからでお酒を選んでいては大手メーカーに危機感は現れません。


美味しいお酒は本当にやっと現れ始めたのです。みんなで「美味しいお酒が飲みたい」と叫ぶべきです。そして、日本中で美味しいお酒が飲めるためには大手メーカーの力が必要だと密かに思っているのです。