うまいことやってる誰か


モー娘。あややのパーフォーマンスを見ながら、ステージで表現されるものすべてが彼女たちの能力で作り上げられていると思う人はいないと思います。音楽を作り、ダンスを創作し、衣装をデザインし、ステージングを演出するのはプロデューサを中心にして様々なスタッフが作り上げています。ステージで演じる彼女たちはパーフォーマーではありますが、ある意味商品としてステージでは見えない誰かが作り上げたものです。


これが例えば女子十二楽坊となると、彼女たちを商品として作り上げている誰か、プロデューサーの影は薄れ、彼女たちのアーティストとしての側面が強調されて、芸術家だから人の心を惹きつける音楽ができるのだと錯覚しています。さらに例えば、「ジュピター」で一躍スターダムに駆け上がった平原綾香なども、組曲「惑星」のジュピターという名曲の一部を歌物に仕立てて、彼女の声質を生かしたトレーニングをほどこしアレンジをした「うまいことやってる誰か」の姿を意識している人はかなりの少数派で、彼女の歌唱力を信じて疑っていません。先日TV「誰でもピカソ」でチラッと見た故本田美奈子さんの同じ「ジュピター」は、きっと平原綾香チームのうまいことやったジュピターを見て取り上げたのだと思うのですが、クラシックとポップスの間(はざま)にある歌唱力があるとはいうものの、「うまいことやってる誰か」がいないせいか、楽曲としての魅力は平原チームのジュピーターには及ばないように思えました。



前置きが長くなったのですが、お話は料理の世界です。先日TV「ソロモン流」で取り上げられていたのは料理研究家栗原はるみさんです。彼女は家庭料理をメディアを通じて発する料理研究家の範疇に留まらず、彼女の名前を冠した雑誌を発行し、キッチングッズを考案、製品化し、カフェを立ち上げ、全国で講演会をこなし、果ては彼女のライフスタイルを表現するための家までプロデュースするのだそうです。理由は「オウチにいるのが好きだから」「家族のために何かしてあげたいから」「家族の支えがあって自分がいるから」


実際大変な重労働の主婦という仕事は社会では「内助の功」くらいとしか言われないわけで、キャリアをもって仕事を続けている女性に比べて評価を受けにくいものです。私なんぞ、朝から夜までそこそこ長い時間一生懸命働いているつもりなのですが、連れ合いに言わせれば主婦業に比べれば甘い甘い・・・・なのだそうで、そりゃもう主婦の言い分にたてつくことは一切できないのであります。


そんな主婦にとって家を守る仕事を「素敵」と演出してくれる栗原はるみさんは、芸能人よりはるかに存在感のあるあこがれで、皆口をそろえて「先生みたいになりたい」といいます。栗原さんも「私はこんな風にオウチでの仕事を楽しんでいます」「家族のために料理を工夫しています」と言いつつ、先に述べたように実像は八面六臂の外での大活躍なわけで、きっと忙しすぎて「家族のための主婦のライフスタイル」なんて実行できるわけないじゃんと単純に感じてしまうのです。


といっても、「言ってることとやってることが違うじゃん」なんていうトボケタ批判をするつもりはありません。栗原さん本人の意思や人間性はもともと「オウチが大好き」なんでしょうが、ビジネス的には彼女は栗原はるみブランドという商品のパーフォーマーであって、あれだけの新しいビックビジネスを展開するには表には見えない「うまいことやってる誰か」とそれを取り巻くたくさんの人間がいるのは当然のお話で、ある意味栗原はるみさんは虚像である栗原はるみを演じている女優のようなものであるいえるのだと思うのです。でも、消費者は女優の演技を見て、彼女の存在をリアルなものとして錯覚して憧れるのです。個人的にはビジネスとして「うまいことやってる誰か」の存在が気になって仕方がありません。


栗原はるみさんの「オウチでの素敵な主婦業」って、昨日読み終えたリリー・フランキー「東京タワー」のオカンの東京での生活と全く同じような印象を受けます。違うのはオカンは「素敵」など求めずに家族(子供)のために、ウチをきれいに掃除し、下着を清潔に調え、料理をし、子供の友人のためにも尽くしつづけていたこと。「素敵」求めなくても家族は主婦を十分評価しているんですけどね。感謝と素晴らしさを口に出していわないからダメなんです、どちらの家庭でもそうでしょうけど。