酒造りの迷信その6


日本人はとかく頭でお酒を味わうようで、頑なに信じている小さな誤解がたくさんあります。



大手の造るお酒はすべて不味いと思い込んではいませんか?大手というだけで否定的に見ていませんか?


私は以前に「月桂冠 鑑評会金賞受賞酒三年熟成」を扱ったことがあります。実を言うとそれまで大手のお酒で印象的なものを飲んだ経験がなかったのですが、これは衝撃的に美味しい酒でした。月桂冠をはじめとして大手には技術を開発するたくさんのノウハウがありますし、設備投資のための資金もあります。「大手=不味い酒」の迷信を取っ払うことも必要です。今ではパック酒、安酒、大量生産の典型のように言われますが、大手の酒造会社はある時期の日本酒業界を支えたというのは紛れもない事実です。そこんところも充分に評価して差し上げる必要はあります。お酒は灘伏見が最高といわれた時代には、地方の地酒は冷たくあしらわれました。新潟酒こそ日本の酒といわれた時代は、温暖な地の酒は暖かい場所というだけで否定されました。地方の小さな蔵が脚光を浴びる今は逆に大手というだけで不味いと思い込まれます。思い込みだけでお酒を判断せずに飲んでみて美味しいかどうかを評価していただきたい。ある時期を支えたお酒もその時代のことを知りつつ評価していただきたいと思うのです。



お酒は純米に限る。アルコールを添加するなんてとんでもない、不味いに決まっていると思ってはいませんか?


日本人は純粋志向が大好きです。混ぜ物をしているというだけで頭から否定する方々はたくさんいます。アル添(アルコール添加)は戦争という歴史の中で生まれた産物で、アルコールを混ぜることで増量されていたというイメージだけで、アル添=悪と思われがちでが、必ずしもそうではありません。アルコールを添加する(微量です)おかげで、未だに大人気の淡麗な切れ味が生まれますし、商品価値のある安定した酒質になります。最近では当たり前になった大吟醸ももともとはアル添から生まれた酒であったのです。大吟醸独特のいわゆるフルーティな吟醸香醸造の過程でお米につくのですが、もろみの状態でお米についている香りは絞ってしまうとお酒に残らずにお米に残ったまま粕についてしまうのです。アルコールを添加することで米にある吟醸香を酒に移すことができるのですね。全国新酒鑑評会で競われる大吟醸はもともと純米ではなかったのです。いまでこそ純米の部門がありますが、アル添が当たり前というところから出発したお酒であることも理解しておいていいのではないかと思うのです。だいたい、純米信奉者で淡麗なお酒が大好き吟醸の香りもステキ・・・というような方は(結構いると思います)、好きなお酒はアル添で切れ味よく、ろ過しまくって淡麗にしあげ、アル添してあるから吟醸の香りが高い・・・という自分の勝手なイメージと酒造りの過程はまったく逆というケースもあるのですね。




辛口と淡麗とをいっしょであると思っていませんか?


現場でお客様にお酒をお出ししていると、ともかくまず注文があるのは「辛口頂戴」という言葉です。私が「これこそ辛口」と思うお酒は「うーーん、甘いなぁ。こういうのじゃなくてもっとスッキリしたヤツ」なんどこういう繰り返しをしてきたことでしょう。スッキリは辛口ではなくて淡麗というのです。辛いお酒で濃厚なお酒はたくさんあります。濃厚というだけで濃さを甘さと勘違いされている方も本当にたくさんいます。私に言わせれば、淡麗で辛口はある意味スッキリ感だけで面白みのない酒、と言えないこともありません。ある杜氏さんは「お米をよく噛んでみろ。噛んでいって辛くなる米があるか?甘みがあるからいい米なんだ」とおっしゃったといいます。日本酒が甘い辛いだけで判断される時代はとっくに終わっています。最初に口に含んだときの甘さが後味に残りますか?口をべたべたさせますか?最初の甘さの次の喉越しは爽やかで余韻の長さに通じることがありませんか?最初の飲み口だけで日本酒を評価してしまうと、今渾身の力で造られているお酒の本当の評価を台無しにしてしまうことが頻繁にあります。甘いは旨いに通じる言葉であって、甘いという前に「ふくよか」というセンスがあれば、日本酒の美味しさを知る幅は飛躍的に大きくなるはずです。日本酒の美味しさは驚くほど多様化しているのです。