酒造りの迷信その7


いいお酒はいい水から。


日本酒はワインと違ってほとんど水でできているといってもいいほど、洗米から蒸し、醪つくりから加水まで水が欠かせません。ですから豊かな水に恵まれた場所でなければお酒を造ることは基本的に不可能です。当然のように酒蔵は水に恵まれた地で始まっているのです。ただ、飲んで美味しいお水が酒造りに適しているか・・・というとそういうものでもないのだそうで、日本中の各蔵から仕込み水をいただいても「へーーー、この水でこんな美味い酒ができるんだぁ」と正直思ったこともあります。また、醸し人九平治さんのように名古屋の街中で蔵を営むところでは、タンクローリーで長野まで水汲みに出かけているとか、初回で紹介したように飛露喜さんは水道水(山奥の美味しい水です)で仕込んでいるとか(伝聞ですが)、それぞれの蔵がそれぞれの取り組みをしているのですね。



「米」「杜氏」「酵母」「土地」「水」と、酒造りの迷信の様々なお話をしてきましたが、酒造りに関わる様々なファクターの中で私が実感としてこれこそが欠かせないと思うのが「人」です。人生訓のようでここで語るには少し気が引けるのですが、米も酵母も土地に関わる設備投資も杜氏や蔵元の技術も、詰まるところ、蔵元の「美味しいお酒を造りたい」という高い志とそれに応える杜氏と蔵元の意識の高さによって生み出されます。「人」の気持こそが美味しいお酒を造る根っこにあることは疑いのない事実です。これまでお会いした小さな蔵の蔵元たちは例外なく真面目で、酒造りについて語るとき熱い気持が伝わってくるような方ばかりでありました。「儲かる話」とか「営業成績を上げる話」とか「経費節減の話」というような言葉を聞いたことがありません。そういう蔵元たちのことを思うと、「最近の○○は味が落ちた」などとは気軽に口にする事はできません。確かに名杜氏と言われる方々の造るお酒の安定感は驚異的で、小さな若手の造る酒には時としてブレがあることがあるのですが、それも試行錯誤の結果ととらえて長い目で見て差し上げなくてはいけないと思うのです。この20年くらいの日本酒の躍進振りはそういう試行錯誤の結果なのです。戦争の統制による日本酒荒廃の時代から、造れば売れる時代を経て、今日本酒は美味しくなければ売れない時代に入りました。「○○地方のお酒は美味い」ではなくて、「○○の造る酒は美味い」という時代です。様々な迷信を捨てて自分の舌だけを信じて日本酒を楽しみましょう。