25年前の若者気質


昨日「近頃の若いモンは」の口調で、義理人情、恩義、人間関係が希薄な今時の若者を「いかがなものか」と批判したのですが、実をいうと各言う私も若い時分には、そういった年寄りの言い分がわずらわしくてなりませんでした。


板前社会の封建的上下関係はもとより、辞めるにも紹介者の顔を立てることまで考えたり、世話になった方々への恩義などよりも、この閉塞した社会にももっとビジネスライクな志向が必要なのではないか・・・・と考えていたものです。もちろん、自分自身が一番下っ端であったことが当時の体制に批判的であった原因でもあるとも思うのですが、コテコテした人間関係のわずらわしさは若者には無用のものに思えたのです。むろん、そんなことをおおっぴらに批判したり、人の顔をつぶすような真似は出来るわけもなく、鬱屈した思いだけがつのっていました。それが今のテイタラクです。まったく私こそ「いかがなものか」であります。



今でも私ン処で修行した若者に恩義を感じて欲しいなどというおこがましい考えは全くもっていませんし、上下関係で物事を考えたり義理人情で人を縛る事にはやっぱり私には違和感があるのですが、一つ、昨日お話した「石の上にも三年」という考え方は捨てる事が出来ません。様々な若い連中の成長の過程を見ても、自分自身を省みても「三年」という期間は確かにこの業界では間違いなくピリオドになります。


右も左もわからずウロウロする一年目、調理場が見渡せるようになり、任せる仕事も出来てくる二年目、本格的に仕事になれてくる反面、仕事が出来る気になってきて痛いしっぺ返しを食う三年目。その辺までくると一人前になるための下準備が出来るのです。一つ場所で三年が勤まらない人間はどんな理由があるにせよ大成できないケースをたくさん見てきました。今の若者が三年たたずに志を捨て辞めてしまうのだけは将来のためによいこととは思えないのです。


という頑なに信じている私はやっぱり老人の域に入ってしまっているのでしょうか。