ワイン・ジャーナリズム

できれば店でお客様におだしするワインは適正な熟成を経たものでありたいと思っています。お手ごろなブルゴーニュ・ブラン(白ワイン)で最低5年以上、ブルゴーニュ・ルージュなら7年、ボルドーは最低8〜10年が和食に合わせるための最低条件と言っていいでしょうか。が、ワインブーム以降、ワイン屋さんで普通に手に入るワインの多くは若いワインばかりで、買ってきてすぐに飲めるほどの熟成を経たものはかなり高価になってしまっています。


さらに、ワイン雑誌などで紹介される注目の造り手のワインは、新進気鋭で私たちには未知の若手です。「2002年の○○は素晴らしい、今後の注目株である」と書かれているのですが、実際にその記事を読んでいる私たちが2002年の若いワインを飲んでも素晴らしさを理解するのは難しい場合も多いのです。少なくとも私にはちっともわかりません。若いワインの秘めたポテンシャルを感じ取り、10年後の姿を思い浮かべるのはそう簡単ではないのです。5年後にこんな感じ。10年後はこう・・・・年を追いながら何本ものワインを飲みつづけているプロのように味わうのは至難の業です。増してや、2002年を2010年2015年までいい環境で寝かせることは素人にはまったく無理。



たとえばワインブーム最中、新樽200%などといって騒がれたブルゴーニュのネゴシアン、ドミニク・ロランという造り手がいたのですが、今ではワイン・ジャーナルで見かけることはあまりありません。下手をすると「あの時騒いでいたのはなぜだったのか」なんていう論調まで見かけるくらいなのです。「いいぞ」「美味いぞ」と言っていた10年以上前の若い状態では素人がどうやってもおいしいと感じるワインではなかったと思います(ポテンシャルは感じたかもしれませんが)確か最初のヴィンテージが1989年。私ン処には1990年のニュイサンジョルジュ、1992年のジュベリーシャンベルタン、1994年のヴォーヌロマネがセラーに寝かされているのですが、やっと今飲んで美味しい熟成感が出てきているのです。本来ならワイン・ジャーナリズムは今美味しいかどうかを再び語るべきです。


新しモノ好きのメディアが次々に消費者が知らない情報を流すのは、料理店情報などでは理解できるのですが、ワイン・ジャーナリズムの当たらしモノ好きが本当に正しいかどうかの判断は数年後なのですね。最近もムルソー注目の造り手ミクルスキーの2002年をいただきました。騒がれているこのワインが何とかいい形に育つのは2010年くらいではないかという感じ。5年後の2010年にはだれも語っていないかもしれないこのワインは、早いうちに飲んでしまうか、忘れられたころ本当の美味しさを満喫するか。日本のワイン・ジャーナリズムの隆盛は大変結構なのですが、普通の消費者のための正しい情報を流してほしいと思うのです。