真心

よくTVなどで聞く「真心をこめた料理」とか「真心をこめたおもてなし」などという言葉を信用していません。


たぶんその道のプロフェッショナルであれば、「真心」などという、気持ちだけを優先した歯の浮くようなセリフは使いたがらないのではないかと思うのです。どうもひねた性格の私など、「真心」という言葉には素人くささや技術の稚拙さを気分でカバーするような身上が見えてしまうようで落ち着きません。


もちろんお客様一人一人に「楽しんでいただこう」という気持ちを充分すぎるほど持っているつもりではいるのですが、そのためにこれまで培ってきた技術やもてなしのテクニックはあっても、心の部分はお客様一人一人が特別であるというような「真心」とは決定的に違います。


あえて言えば私の場合、常に抱いている心持は「真心」ではなくて、「恥」なのかもしれません。お客様に対しても自分に対しても「恥ずかしくない仕事」、頂戴するお足に対して「恥ずかしくない仕事」 自尊心の塊のようなお話ですが、職人が全般に持つ仕事に対する「恥」の気持ちは強いのではないかと思うのです。


お客様に対しての心遣いは予約のお電話をいただくときからお帰りになるまで常に持ち続けるものですが、そのもてなしという意味での心遣いさえ「真心」とか「誠心誠意」とかいう言葉で片付けてしまうと、もてなしという仕事はお客様ごとにばらつきやむらがあるように思えてしまってどういも居心地が悪く感じてしまうのです。私達はもっとスマートに高いレベルで仕事としてお客様に向かっていきたいと思うのです。