コンセプトモノ

企業体としての料理店が複数の店を展開したり、料理人でない企業人が料理店を作り上げようとするときは、必ず「コンセプト」を立ち上げることから始まるのが流行です。


我々の馴染み言葉で言えば「お題目」がまずあって、それにそってターゲットとなる性別と世代、年収別の客層を設定して、店つくり、献立が決まっていきます。メディアで有名な料理人がプロデュースする料理店はすべてこの流れの中にあります。


三国さん、日高さん、ヒロ山田さん、石鍋さん、道場さん、小山さん、この十年で何件の店が創作されたでしょう。


で、
昨日話題にした夏休みのお泊り「あさば旅館」への旅程の昼食がこの手の「コンセプトモノ」「プロデュースモノ」のレストランでありました。


美術館に併設されて、地元の海のもの、山のもの、芸術の香りと、一つの花をコンセプトに仕立てたレストランは東京の超有名シェフがプロデュースしています。


弟子であろう料理人が作る料理は充分美味しくて、皿の演出も、スタッフのサービスも、地方都市で東京のレベルの高いレベルを感じさせるものです。


そのレストランだけを見ればそれなりに満足の高い内容なのに、同じ日に昨日お話したような「あさば旅館」のような旅館に接するとかなり見劣りしてしまうのはなぜでしょう。


コンセプトという大前提のもとに作られた店は、コンセプトを実現するために過剰に走ってしまうのかもしれません。料理店が単純に求めるべき「お客様の居心地のよさ」「美味しさの提供」のさらに上にコンセプトがあるとどこかにちぐはぐさがでてきしまうのでしょうか。


「あさば旅館」には「くつろぎ」という単純にしてもっとも大切な要素が、コンセプトではなくて、ご主人の信念として従業員と店全体に反映しています。これが企業が作る旅館の「コンセプト」となるともっと難しいお題目になってしまう可能性があります。


主人が店を取り仕切り、信条が素養として店に現れる店と、上から与えられたコンセプトを実現しようと努力しようとしても、コンセプトを発した本人は店にいないという違いは、どれほど努力を重ねてもそこかしこに消化不良が店に現れてしまいます。


伺ったコンセプト系のお店にはリッチな雰囲気が漂い、そのリッチな雰囲気を楽しむお客様達がたくさんいました。TVの紹介番組で取り上げられれば、素人がコロリと参ってしまうような内容が品よく満載されたレストランです。「こんなレストランで食事している自分が好き」というお客様はこの手のコンセプト系は大好きかもしれません。が、私達のようなひねくれもんの家族は「美味しいんだけどねぇ、なんか・・・・」と「あさば旅館」のほうにウットリしてしまっているのです。


いつまでたっても「オシャレ」にはなれない家族なのであります。