包丁の柄


魯山人の著作の中で、ある名家のお手伝いのおばあさんが料理の名人であるという噂を聞いた魯山人、「そいつの台所へ行って包丁の柄を見てみよう。仕事ができるかどうかすぐわかる」と言った。というのがありました。


包丁の柄の汚れは職人のバロメーター・・・・といっては大げさですが、確かにこれまで見た仕事ができる職人さんの包丁の柄は例外なく磨きこまれてきれいでした。


例えば仕入れた魚の下処理をするとき、ハラワタとか鱗とか、汚れる要素はたくさんあります。


魚の腹を包丁で割いて、一旦包丁をまな板の上に置き、両手で頭とハラワタを取り出せば、当然のように両手が汚れるわけで、汚れたままで包丁を持てば柄はべとべとになってしまいます。たくさんの分量、手早い仕事を心がけようとすると、「少々汚れても後で洗えばいいか」と思ってしまうかもしれませんが、仕事ができる・・・・というか、ちゃんと仕事を覚えた職人は決して汚れた手で包丁は持ちません。ですから右手は一度も汚さずに下処理ができる包丁使いを心得ているものです。


きちんとした店で最初に修行に入れば、柄が汚れてしまうことには嫌悪感を覚えるように育つものです。


もちろん毎日の包丁の手入れの際に、刃を磨くことはもちろんですが、同じ力で柄もしっかり磨く癖がつきます。


どの分野でもいい職人さんは道具をきれいに扱うものです。包丁を崇め奉り、「包丁命」となるのはあまりスキではありませんが、正しく修行を経た職人は道具をきれいに扱うことが当たり前のように身に染み付くものなのです。


料理人の手元が見られるカウンターなので、包丁の柄を見てみてください。あなたの舌の満足度と包丁の柄の美しさが一致しているかどうか?


一見の寿司屋で玉子焼きから頼むみたいなヤナ客みたいですね。口には出さないように、それとなく。