昔話その2


料理をすべて出し終え、調理場の若いスタッフを帰してから、いつものように事務仕事をこなしてひとりポツンと包丁を研ぎながら、そういえば・・・・と昔を思い出していました。


修行時代、25年も前ですが、その当時の調理長は今の私とは違って一番遅く出てきて一番早く帰っていました。それが当たり前、そういうもんだと思っていました。地元に帰ってきても、父親はお客様の刺身をひくと「後は任せた」とのんびりしていたものです。


大阪の修行していた店では、私たちぼんちゃん(一年生)は9時ごろ、もちろん一番早く調理場へ入り、立て板(調理主任)が一時間遅れくらい、調理長は二時間遅れのランチ前に出勤してくるのが通常でした。


出勤すると調理長の部屋でぼんちゃんが古風な奥様のように着替えの手伝いをし、その後調理長は各部署を回って仕事の進み具合を点検します。


帰りは早番のご飯(9時ごろ)と一緒に、二三品の特性別メニューを食べながら若い者にありがたい訓示を述べ、退社するのが9時半くらい。私たち若い者はその後、後片付けを終えると11時くらいでしたでしょうか。もちろん調理場を出るのはぼんちゃんが最後です。


調理長の包丁も研ぐもの向板の仕事で調理長が研ぐことはありません。


「調理長というのは楽チンでいいもんだ」などとは微塵も思わず、実力がある人がそこまでいけるのだ・・・としか思っていませんでした。


それから二十数年、店の規模が違い、オーナーシェフと、調理場だけを束ねる調理長との違いはあるのですが、仕入れに出かけるのが若いスタッフが出勤する2時間半前、包丁はもちろん自分で研ぎ、着替えを手伝うなどとんでもないお話、仕事を終えるのは若いスタッフが退社した二時間後・・・・・・。ぼんちゃんではなくて調理長が一番長く働いています。


時代が違い、世相が違っていますから、「若いことはこうだった」などとは一度も若い連中に話したことはありませんが、変われば変わるものです。


「俺が一番働き、俺が一番一生懸命やっている」と自分に思い込ませる、根拠のない自信だけを頼りにしている情けない調理長たということは確かです。