魂の酒


尊敬する杜氏 農口尚彦さんが語り、塩野米松さんが構成し聞き書きした「魂の酒」を読みました。


昭和60年代前半(頃だったと記憶するのですが)噂に聞く「菊姫大吟醸」を飲んで、日本酒の考えが一変した私は、それ後日本酒の魅力にのめりこんでいきました。


すべての始まりは農口尚彦杜氏が造る「菊姫大吟醸」であったのです。


その頃、吟醸酒は世間の認知を受け始めた時期で、久保田の万寿が入手困難で幻と騒がれたり、出羽桜の馥郁たる吟醸香に驚いたりしていた時期なのですが、私にとっては菊姫、すべてが菊姫で始まり、菊姫で終わるといってもいいほど農口さんのお酒に傾倒したのでした。


一歩間違えば、日本酒のすべてのラインアップを菊姫だけでまとめてもいい、と思ったほどです。20年前のお話です。


農口さんはその後菊姫を定年退職され、同じ石川県の加賀市鹿野酒造でさらにいま五年目の造りをなさっています。店でも、一万石を目指す農口さんがいらっしゃらなくなった菊姫には興味がもてなくて、農口さんを追いかけるように、今は鹿野酒造の「斗瓶大吟醸」や「如」がラインアップに並ぶようになりました。


吟醸酒を使い始めてから20年、日本酒のラインアップは常に成長していても、農口さんのお酒がリストから消えたことはありません。その農口さんが語る日本酒の歴史と造りへの執着が面白くないわけはありません。私の憧れなのですから。


これまで想像していただけの農口さんの菊姫以前の足跡、菊姫での日本酒の成長、山廃をはじめとする造りへの執念ともいえる職人魂、菊姫の柳蔵元との熱い関係、鹿野さんへの移籍、若手、他杜氏への厳しい言葉。酒だけで想像してた農口さんの人となりと仕事への思いは、農口さんの語りと、塩野米松さんの絶妙な書き下ろしで骨格を成しました。


日本酒のあり方や、同じ職人としての手仕事への熱さを教えていただいただけでなく、一代を築いた職人が過去をきちんと語ることの大切さを学びました。とかく若い者に昔話をすることは煙たがれ、年齢を経た私なども「昔はなぁぁ」と語り始めることを躊躇していたのですが、それは大きな間違いでした。過去をきちんと認識しておくことが、未来をより豊かにするための大事な過程なのです。


「魂の酒」日本酒の造りをより深く理解するためにも、職人としてのあり方を再認識するためにも何度も読み返したい本です。