不思議


酒粕を使った粕汁は美味いモンではない・・・・と思っていました。


もともとこの辺では一般家庭のお惣菜に粕汁は登場しません。初めて食べたのは修行時代の大阪の頃、番菜の定番で登場する粕汁はいつも残してしまうようなシロモンでした。


その頃の板粕とは違って、今は酒粕自体の品質が劇的に向上しています。ある蔵の大吟醸袋絞りのトロトロ酒粕が手に入るようになって、「この酒粕ならもしかしたら」と粕汁を作ったことがあるのですが、やっぱり自分の舌には馴染みません。素材さえよければ・・・・の盲目的素材信奉の私でも粕汁は厄介な献立の一つだったのです。


ところが今年、残った佐渡沖の寒鰤のカマにたっぷり塩をあて、やっぱり残った中落ちでコトコト出汁をとったもので粕汁を作ってみると、これが素晴らしい。


不思議なのは寒鰤の中落ちでとった出汁は魚臭くて飲めたものではないのに、酒粕を入れると魚臭さはきれいになくなるだけでなく、魚臭さが出汁の味の深みに変化してしまうことです。


よく魚や肉の臭みをとるために生姜を入れるとか、ニンニクを入れるとか、酒で洗うとか、時には牛乳に漬けるとか様々な臭み対策を見かけますが、これらのほとんどの方法は臭みをなくしてしまうものではなくて、ほかの強い味を加えることで臭みを押さえるだけのものです。素材さえよければ、「臭み」といわれるものはその素材の持ち味とか香りとかいえるものでもあって、生姜やニンニクは持ち味や香りを活かすための物とさえ私は思っています。


ところが今回の鰤と粕の劇的な変化はそのレベルとは違います。長いことこの商売に携わっているのにこの勉強不足、経験不足の情けなさ。これまで美味しくないと思っていた粕汁は一番出しに酒粕を加える方法で、上品な味の出し汁に酒粕ではダメだったのです。極上の出汁プラス極上の酒粕ではバランスが悪いのに、魚臭い出汁に酒粕が美味しさや味の厚みに変化するのでした。定番の鮭と粕や上品な一番出汁に粕では得られない、寒鰤と酒粕の相性を知ることができてやっと粕汁がものになりそうです。


佐渡沖、定置網の寒鰤に鱈の白子、谷野さんの源助大根と京都の金時人参、京せりをたっぷり。


力のある職人さんなら当たり前にもっている技術が、いい年になってやっと身についたような気がします。全く私ときたら。。。。