温度計と肌感覚


職人的感覚としては「揚げ物の油に温度計など必要ない」と言いたいところなのですが、調理場のスタッフには温度計を使わせています。


修行時代にはもちろん油用の温度計など存在していなくて、衣を油に一滴落としたときの感覚で適正温度を推し量るのが当たり前でした。


いまでも基本はそう・・・・と教えるのですが、数値化した適正温度というのは技術がまだまだ未熟なスタッフのためにはどうしても必要です。失敗は許されないのですから。


祖父や父などは、そういう機械を使うことが研ぎ澄まされた感覚を鈍らせると言ったものなのですが、毎日仕事に向き合っていれば自然と感覚は身につくものと信じています。


先日も油鍋の前で揚げる作業をしていると、素肌感覚で感じる油の温度と温度計の示す温度が違います。予備においてあった新しい温度計で試してみると、やっぱり古い温度計が10度ほどずれていました。


別に自慢話でもなんでもなくて、油の表面の揺れとか、素材を油に投入したときの泡の具合とかで、その素材の正しい油の温度と言うのはわかるものなのです。毎日毎日仕事に向き合っていれば当たり前のように感じます。それが仕事なのですから。天ぷら職人さんならもっと微妙な変化に気を配っていらっしゃるでしょう。


メディアなどでは「職人の技」とかいって持ち上げるものになってしまいそうですが、できて当たり前、技術は美味しいものを作るための手段のほんの一部であって、「技術=美味しい」ではないのです。


例えば音楽でも、昔、調律師の方が持っていた440サイクルと442サイクルの「A」の音を、どちらが高い音かを聞き分けることができました。別に鋭いわけでもなんでもなくて、毎日音楽に向き合っていた時代でしたからわかっただけです。聞き分けられたからといって音楽性に優れているわけではありません。


そういう技術的な感覚と言うのは、日々の繰り返しでどんな人にも必ず身につくものなのです。それよりは何が美味しいのかという美意識のようなものを磨くことのほうが大切だと思うのです。きっとそれは繰り返しでは身につきません。