20代
昨日お見えいただいたソムリエさんとご一緒の方は20代前半。これから同じソムリエを目指したいのだそうです。
開けたサロン1982がバースデー・ヤー。1982年と言えばボルドーであればまだ飲み頃でないワインもあるくらいで、私にして見ればちょっと前のことです。
1982年が感覚としてちょっと前というのは自分が歳をとったということなのでしょうね。
それにしても志があるとはいえ20代前半でサロン1982 クロ・ド・ラロッシュ1983(ドメーニュ・ポンソ)を味わえると言うのは恵まれています。
自分を振り返って20代前半を思い出すと1970年代半ば、食事にワインなんていう方は日本では見当たらない時代でした。その頃サパー・クラブで飲んだ赤ワインに”MEDOC”と書いてあったことを覚えています。
「へーーー、”MEDOC”っていうワインなんだ。渋くてすっぱいもんだね」
ドイツの白ワインのブームさえまだまだ先のお話です。
その頃ロサンジェルスやサンフランシスコで、ポール・マソンの「シャブリ」が美味しかったこともよく覚えています。当時はカリフォルニアワインにシャブリの名前をつけられたのですね。
ですから、そのころはシャブリというのは葡萄の種類の名前か、ワインのタイプのことだと想っていました。
地方の田舎町でワインがたくさん置いてある近所の店のオヤジでさえ、シャブリがなんであるのか理解していたかどうか怪しいもんです。ドメーニュなんて聞いたことさえない時代です。
当然「釣りバカ日誌」でスーさんが「シャブリ」なんていうのはずっとずっと先のお話。
お酒は熱燗が当たり前、冷やで飲むのは日雇いの労働者、生酒、生貯蔵なんてのが出てきて、レモンや氷を入れて飲むのがオシャレ・・・・いえオシャレなんて言葉も流行る前です。大吟醸なんて聞いたことさえありませんでした。新潟酒が注目されるのでさえまだまだです。
「吉四六」がもてはやされ入手できない焼酎ブームだって先です。
30年弱前の日本なんてそんなものだったのです。ワインを語り、ヴィンテージがどうのドメーニュがどうのといったって、日本人全体が知ったのでさえ10年20年のことで、ワインの長い歴史の中で見れば、いわば「皆そろってヨーイドン」くらいなもんです。
私がどれだけお酒のことで生意気を言っても、20代前半の日本のことを思い返せば、得た知識や経験はある意味付け焼刃、代々受け継がれた歴史ではありません。
サロンとポンソで日本料理を楽しむことを知ることから始まった20代前半。この若者が20年後にはどんなソムリエになっていらっしゃるのでしょう。楽しみです。