地方の悲しさ


誤解を恐れずに言わせていただければ、大都市圏、主には東京では受け入れてもらえるのに、地方都市では無理という料理や料理店があります。


これだけいい料理をつくっていらっしゃるにどうしてどうして空席が目立っているのかとか、これだけいい素材を駆使していらっしゃるのにどうして理解してもらえないのかとか、この素材であればこの値段は当然なのにどうして高いだけとしか言われないのか、この高い志がどうして受け入れられないのかとか、このシンプルのよさがわからないのか、このオーソドックスなことの凄みがわからないのか。


お客様を呼べない店、儲からない店は、どれほど素晴らしい店であっても価値はない・・・・ということは十分わかっているのですが、そんな店のために、つい田舎町だから理解されないのだと愚痴をいっしょになって言いたくなってくることがあります。東京だったら、京都だったら・・・・。


極端な話、大都市圏から遠くはなれた小さな田舎町で、客単価三万円以上の高級フレンチが成り立つか。


もっと至近な話では、フレッシュの形のいいラズベリーを大胆に使った小ぶりなケーキが500円・・・・・銀座の一等地でしたら安定して売れていっても、地方都市ではどうか。


素材はもちろんのこと美味しさも、独創性も抜群だったとしても、その500円が高すぎて売れない可能性もあります。冷凍のラズベリーを使った250円でしたらきっと売れます。でも、職人さんはそれは自分の仕事ではないとがっくり力を落とすでしょう。


田舎町ではいい食材を使ったもの、大胆な発想、高級なものは育たないのか。


でも広く見渡せば、「招福楼」があり、「ラ・ナプール」があり、「志摩観光ホテル」があり、「藪宮本」があり、「末木」があり、外に目を向ければ、「ミシェル・ブラ」があり、「エル・ブジ」があります。


しかし、それらのすべては、地元のお客様狙いだけではありません。


それでも、田舎町で理解されないことにめげずに、地道にふんばって志を曲げない職人さんを見ると、応援してさし上げたくなります。


ずっと田舎町で悪戦苦闘している、力の無い職人の言い訳でしかないのかもしれませんが。