産地
奥湯河原の名旅館「指月」の親方が朝食の時、カウンターをはさんでおっしゃいました。
「駿河湾をひかえて魚については地物を大事に使わせていただいているのですが、野菜については残念ながら地元に頼るのはちょっと無理です。やっぱり主には京都のものです」と。
東京での京料理の先達である「京味」さんはもう20年前から京都の野菜、瀬戸内の魚を空輸していたと聞きます。
私ン処で魚だけでなく野菜についても、できるだけ産地を特定して使っていけるようになったのはせいぜいこの7-8年のことです。
宅急便に加え、クール便も発達したこと、輸送の価格が安くなり、包装も手軽になったことなどの流通革命。
グルメブームの乗った雑誌等の情報と、インターネットを始めとした新たな情報が飛躍的に増えたこと。
情報が増えたことは農家さんへも波及し、若い作り手を中心に地元に根ざした特定野菜や、新しい洋野菜、他の地で成功した野菜などの研究と栽培の努力が積み重ねられていること。
海外からの輸入の規制の撤廃。
などなど、食材を取り巻く環境は十年前から比べると劇的に変化しました。
とはいうものの、こと野菜については、気候や風土、土壌が決定的な要素になります。どれほど熱心な農家さんが新しい野菜を作ろうとがんばっても土地に根付かないものではどうしようもありません。
水茄子は泉州の土地だからこそあの形とたっぷりした水分を含むのだそうです。
聖護院蕪は聖護院でなくてはあの大きさと瑞々しさは保てないと聞きます。
それに加えて、地元が誇るような野菜には長い間にに伝承されるノウハウが受け継がれています。一年に一回しか作ることができない野菜であれば、経験二十年といってもたった20回しか作っていないのです。料理人が同じ料理を何百回も作るのとは訳が違います。そこで代々受け継がれるという事には大きな差が出来て当然です。
そうやって、農家さんが誇りと信念を持って作る品物には訴えかけるようなパワーがあります。
野菜でもお酒でも魚でも生産者の力が感じられる品物を使えることは幸せです。
料理の美味しさの7割は素材だと思っています。1割が見識。1割がセンス。1割が技術・・・くらいでいいのでしょうか。
「力がないから素材に頼ってるだけじゃん」とは私が言われつづけてきたことです。
それでも産地や生産者を特定できる今と言う時代に、私の仕事に理解を示してくださる奇特なお客様に恵まれているのは幸せなことです。
それでもこの十年の大きな変化のことを思うと、板前として次の十年二十年走りつづけていられるかどうか、様々な作り手や仕入れ者の刺激が感じられなくなった時は包丁を置かなくてはいけないのでしょうね。