再びラーメン〜YOSHIKI


ちょっと前に「ラーメン屋さんのこだわり」と題して日記を書きました。


ご批判にヒヤヒヤしながら書いたものですから、憧れの方からご賛同のmailを頂戴したりして、思わず一人悦に行っていたのですが、さらに今日読んでいた福田和也さんの本の中にこんな一文が。

 もちろん、ラーメン一筋に精進をする、そういう料理人がいてもいいのです。時にそう言う人の中に立派な人もいるでしょう。けれども、近年の何か過度にストイシズムやナルシズムを発揮し、それにメディアを顧客がこたえている風景は、何というのでしょう、今の日本の貧しさを象徴しているもののように見えます。貧相の、一言につきますね。
 しかも、それを行列して待って食べるにいたっては。たかが、らーめん、すいてる店で食えばいいじゃないか。だいたい女の子がアイスクリームに並ぶならともかく、大の男がラーメンのために行列などして恥ずかしくないのかね、などと憎まれぐちを叩きたくなります。こんな事をいえば、嫌われるのはわかっているのですが、ラーメン一杯に徹底した満足を求めるというのは、やっぱり貧しく、狭いと思いますよ。もっとも、私がこう考えるのはある種の偏見のためかもしれません。というのも、実家の仕事が食品関係であったために、ラーメンというのがきわめて原価率の低い、お得な商品であることをよく知っているのです。(福田和也「贅沢入門」より)


と。


自分に自信がないものだから、こういうお話に妙に気を大きくしたりして。


気を大きくしたついでに、


X-JAPANYOSHIKIが続いてTVのインタビュー番組に出ていました。


「笑っていいとも」で小泉首相から花が届いていたり、(もう前ですが)天皇在位10年に曲を書いて演奏したり・・・・


へつらっている訳ではないのでしょうが、お上と仲がいい「ロッカー」ってなんだかねぇ。


さらに、昨日の番組では「曲を書くのには楽器を使わないから」(頭の中でできるってことね)とか、「クラシックの訓練を受けているから」とか「頭の中で完成した音楽をレコーディングしていくのは妥協の連続である」とか言われても、「あっ、そうなの」としかいい様がない。


彼の作った音楽の極めつけを聞いたことがないものだから、才能に自惚れするミュージシャンの話を聞いてもなんか実感がありません。


練習をたくさんするスポーツ選手とか、「○兆」出身を常にネタにする料理人みたいなもので、「バックグラウンドを自慢するより、今あなたが公に表現するものの程度はどうなの?」って聞きたくなります。


上記のようなお話は一流のミュージシャンの口からは出てこないような気がする私。


譜面が読めなくたって、”MISTY”みたいな名曲を作って名演を残したエロール・ガーナーみたいな人がいて、人の心を揺さぶる音楽を創造するミュージシャンには、素養とかバックグラウンドは必ずしも必要ないんじゃないかと思ったりする板前なのであります。