自分の料理


自分の料理を食べました。


我が家の法事で。


板前が自分の料理を食べるの当たり前ジャンと思われるかもしれませんが、恥ずかしながらこの業界にいると、一つ一つの品物の味見はもちろんしても、コースの料理を通してスミからスミまで食べてみることを毎回毎回しているわけではありません。ましてやお部屋でお客になってというのは。主人が板前であるときには特にそうです。


ある意味、皿と皿との組合せは自分のイメージの世界でなされることが多いものです。


この味のものの次にこういう味のものをもってくると舌にどう感じるかとか、献立の流れは頭の中で組み立てても口にしてみるとどうかというのは、長い間の経験知でなされているのです。


が、細かい誤差は必ず出てきます。それでもお客様のちょっとした反応でそれも推し量ることができるのですが、やっぱり本当は自分で食べてみなくてはいけません。


お座敷に座って、全くのお客になって食べることで料理とそれにまつわる細かいところまで気が付きます。外から店に入ったときのお香の香り方、座布団やテーブルの配置、おしぼりの温度や、湿り具合、お運びのタイミングや皿の置き方、お酒を出し方、お運びの所作、座ったままで感じるエアコンディションの具合、調理場で温められた皿の客前での温度、調理場での盛り付けの見栄えと、お座敷で蓋をあけたときの見栄えの違い、大事な一皿一皿の味と献立の組合せ。


前菜の味の組み合わせは正しいか、お椀の暖かさは季節に合っているか、華やかさがあるか、お造りの魚の熟成具合と一切れの厚さは正しいか、醤油の量は山葵の量はアシライとの組み合わせは、煮物のバランスは悪くないか、香りの分量は正しいか、焼き物のタイミングはずれていないか、魚の塩加減はこの皿の配置を考えた時正しいか、あしらいとの調和は取れているか、鉢物まで到達した時の全体量を多く感じないか、食事デザートのタイミングはよいか、ご飯の量は多くないか少なくないか、漬物のバランスはよいか、デザートの温度は適正か、甘味と酸味のバランスがよいか、食後で感じるほうじ茶の温度と濃さ正しいか、そして一皿一皿が美味しかったか、コースのまとまりはよかったか、私の意思が皿に反映されているか、押し付けがましくないか、貧相でないか・・・・等等等等


細かく見ていけばきりがありません。実際にお座敷に座って眺めたべてみるのと、料理店側にいるのとでは違うものです。たぶんこのうちひとつでもかけていれば、「あの店はだめだ」とおっしゃるかもしれません。


どうだろう、大丈夫だろうか?自分の料理は、店は。