折詰


東京に「弁松」という有名な仕出屋さんがあります。


私ン処の祖父は大正末期創業にあたって、この弁松さんのような折詰を目標にしてみたいと思ったのだそうです。


80年前には東京のこういった仕事は時代の先端をいっていたようで、おかげと仕出し料理店としての御贔屓をいただくところから店が軌道にのったと聞きます。


以前に東京のデパートで「弁松」さんの折詰を拝見したところ、20年位前まで私ン処の定番であった内容がそのまま生きていて驚きました。


豆キントンが入って、大ぶりに切った卵焼き、椎茸、蓮根、筍などのしっかり味付をした旨煮、鰆の西京焼き・・・・


私の代になってから折詰はずいぶんと変更されてしまったのですが、東京の老舗では祖父の頃の仕事が未だに受け継がれているわけです。


ずっと以前の東京の料亭での宴席には、「口取り」と称して必ずお持ち帰りようの折詰めがついていたそうです。この風習は私が料理の道に入った頃には、すでに過去の遺産となってしまっていましたが、「キントンや羊羹は自分のところで作るもの」という慣わしや婚礼の引き出物の折詰めという形で名残を残していました。


その当時、こういった折詰めを家に持ち帰るのが、家族へのご馳走だったのでしょうね。


近頃では折詰めをおくばりしたり、いただいたりということ自体が少なくなってしまいました。昔はハレの日、たとえば成人式、お節句、七五三のように祝い事で親戚や仲人さんなどに折詰めとお酒をおくばりしたものです。


本来ならお招きしてお料理とお酒でご接待をさせていただき、ともに祝うのですがそれを簡略化したというわけです。


いまではそれらの祝い事は、親子とよくてもおじいちゃんおばあちゃんとだけでおこなうものになってしまいましたが、子供の成長が難しく、ハレの日が大事だった頃にはなるべく多くの人間で祝うものであったのです。


毎日がハレの日というほど贅沢になった現代、その逆に人間関係は希薄なってさびしくなっています。折詰めを考えただけでも世相の変化が思われます。