サービスマンとしての素養


以前に雑誌で読んだ、あるライター(作家?)のリゾートホテルでの経験を綴った文章を大事にとってあります。


私の教則本です。


以下はその引用

ロベルトが、我々のテーブルの担当だと名乗ってきたときから、その実直そうな態度に好感が持てた。それにロベルトの動きには性急なところがなく、ゆっくりと過ごしたいリゾート客にはピッタリと合っている。何よりも注文を取るときのロベルトは秀逸である。予約のノートから、我々が日本人だと知り、料理の説明を魚料理中心にすることを忘れない。しかも、女性には量を少なくすることもできると、言葉を添えるし、年配の夫婦にはオードブルを二品取って、その間にスープを入れたらどうかと助言がある。その合間、時々目を上げてはグラスのスプマンテが飲み干されていないか確かめることを怠らない。料理にしても作り方から細かく、と期に片言の日本語を交えながら説明は、かなりの知識がなくてはできないだろう。サービスされる料理も、冷たいものは冷たく、温かい物はより熱く、また、料理と料理の間合いは洗練されている。その理由はすぐに判明した。シェフとロベルトの息が合っていることも然ることながら、彼は料理に並々ならぬ愛情を持っているからだ。しかし、これは大切な事で、過去何度も腕のよいシェフの料理を、愚図なウェイターによってだめにされたことがある。
 さて、料理に舌鼓を打ち、ワインを味わい、それに伴って会話が弾むようになってくると、ひとつの小さな世界が生まれ、外からの干渉が億劫になってくる。それも、ロベルトはわきまえていて、目立たないところに身を潜ませて、自分の出番がくるのを待っている。そういうときですら、いつのまにかグラスにワインが満たされているから、身を潜ませているばかりではないことは明らかだ。
 やがて、メインディッシュがサービスされ、デザートがテーブルに置かれる頃にもなると、満腹感とおしゃべりのしすぎから、全員の口が重くなる。その時を待ってましたとばかりに、ロベルトが出動してきた。まず、ひとりひとりに料理の満足感と評価を聞くと、お礼と、タイミング(実は打ち合わせどおり?)よくその場に現われたシェフの紹介を始めた。その夜のディナーは、綿密な脚本通りに練習を重ねたブロードウエーのミュージカルのような感動を得ることができた。それは、ロベルトの真執なサービスに追うところが大で合ったことは言うまでもない。だからといって彼が決して出すぎたわけではなく、むしろ頃合いをはかるのが巧みだったというべきだろう。
 旅には心に残るよい旅と、思い出すだけで煩うような旅がある。滞在したホテルの施設が優れていたとか、旅の善悪への話題は尽きぬが、たった一人の人間によって、その旅がさらに磨かれるほど嬉しいものはない。(by箭内祥周)